
3月27日のヤクルト戦(神宮)でプロ初本塁打を放った阪神・佐藤輝
今季注目のルーキーは、やはり阪神のドラフト1位・
佐藤輝明だろう。持ち味である打力がプロで通用するか注目されたが、オープン戦の12試合で打率.302、6本塁打、9打点と活躍。
長嶋茂雄以来となる新人での本塁打王に輝いた。3月27日のヤクルト戦(神宮)ではプロ1号をマーク。この調子なら1年目からいきなり20本塁打以上も可能だと評されている。では、「大卒1年目での20本塁打以上」はこれまで何人が記録したのだろうか?
わずか7人しかいないレア記録
これまでに大卒で入団1年目に本塁打を20本以上記録した選手は以下のとおり。
桑田武(大洋/1959年)31本
長島茂雄(
巨人/1958年)29本
森徹(
中日/1958年)26本
村田修一(横浜/2003年)25本
田淵幸一(阪神/1969年)22本
原辰徳(巨人/1981年)22本
有藤道世(
ロッテ/1969年)21本
※本塁打数順
1936年に日本のプロ野球の歴史が始まってから80年以上、数多くの名スラッガーが誕生したが、大卒入団1年目で本塁打20本以上を記録したのはわずかに7人のみ。プロ野球人気を引き上げた長嶋茂雄をはじめ、そうそうたる選手が並んでいる。特に桑田武が1958年に残した31本は、今も破られていない新人1年目記録(
清原和博とタイ記録)だ。桑田の新人記録更新は高く評価され、ルーキーながら沢村賞投手となった
村山実を抑え、新人王に選出されている。

大卒1年目の58年、29本塁打を放った巨人・長嶋
長島茂雄は1年目から打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁という各分野で突出した成績を残し、本塁打、打点の二冠王に輝いた。有名な「ベース踏み忘れ事件」がなければシーズン30本塁打に到達していた可能性もあり、史上初のルーキーによるトリプルスリー達成もあり得た。
森徹は同じリーグに長嶋がいたため、新人王になることはできなかったが、23本塁打、73打点と新人とは思えない好成績を記録。翌年は新人の桑田と同数で本塁打王に輝き、中日の主砲に成長している。
ほかにも、捕手で22本塁打を記録した田淵幸一、後に「ミスター・ロッテ」としてリーグ有数の大打者に成長する有藤道世も1年目で20本塁打以上をマーク。現在巨人を率いる原辰徳も、田淵、有藤以来となる20本塁打超えとなる22本塁打を記録し、新人王になっている。ちなみに、有藤は近大出身。つまり、佐藤にとっては大先輩に当たるわけだ。有藤は佐藤ほど大学時代に目立った選手ではなかった(同期に法大三羽烏がいた影響もあるが……)が、通算348本塁打の強打者へと成長した。

平成で唯一、大卒20本塁打以上を達成した横浜・村田
1950年代や60年代の記録が多く並ぶ中でひときわ目立つのが村田修一の名前だ。日大時代に東都リーグで通算20本塁打をマークした村田は、2003年に自由獲得枠で横浜に入団。1年目にいきなりレギュラーに定着するも、7月に打撃不振で二軍落ち。しかし一軍再昇格後は本塁打を量産し、9月には新人最多記録となる月間10本塁打をマーク。最終的に大卒新人では原以来22年ぶりとなる20本塁打以上を記録した。「平成」で20本塁打以上をマークした大卒新人は村田のみという唯一無二の数字だといえる。
惜しくも20本に届かなかった選手では、1998年に19本塁打をマークした巨人・
高橋由伸が挙げられる。史上7人目となるプロ1年目での打率3割達成という大記録は残したが、20本塁打には惜しくも届かなかった。
入団1年目で本塁打を20本以上記録した選手はわずか7人と非常に少なかった。2000年以降で記録したのは村田のみで、以降は12年間出ていない。果たして佐藤は偉大な先輩に続き、1年目から20本塁打以上を記録できるのか、その行方に注目したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM