今から30年以上前の1990年代。セ・リーグが熱く燃えた時代、チームを支えた最強助っ人は誰だ! 読売ジャイアンツ
助っ人獲得の失敗の時代と言える。1984年から90年まで活躍した
ウォーレン・クロマティの存在もあり、球団そしてファンの、助っ人に対する期待値のハードルも高かった。また、93年オフに導入されたFA制度により補強の優先順位が変わったことも影響したか。そんな状況で、野手ならば95~96年在籍で247試合、打率.284、273安打、42本塁打、127打点、24盗塁の
シェーン・マック。投手ならば96~2000年在籍で106試合、46勝43敗、防御率3.31の
バルビーノ・ガルベスだろう。マックは性格も真面目で96年の優勝に貢献したが、高給がネックとなり退団。ガルベスは初年度に最多勝も、98年に判定を不服として球審にボールを投げつけて出場停止処分を受けるなど気性が荒く、最後は故障なども重なり退団となった。
阪神タイガース
1990年年代の阪神は暗黒時代。しかし92年は最も優勝に近づいたシーズンだった。その快進撃を支えた一人が91年からプレーしていたトーマス・オマリー。柔らかいバットスイングで広角にヒットを放つ好打者で、92年は
パチョレックの加入で三塁を守りゴールデン・グラブ賞も獲得している。その92年は本塁打15本に打率.325と攻守に活躍した。93年には打率.329で首位打者も獲得。在籍は91年から3年間ですべてのシーズンで打率3割以上を記録するなど、阪神の90年代最強の助っ人と言ってもいいだろう。
ヤクルトスワローズ
野村克也監督の下、黄金時代を築き上げた年代だ。多くの助っ人が赤ストライプのユニフォームで躍動した。
ジャック・ハウエル、トーマス・オマリー、
ヘンリー・ミューレン、
ドゥエイン・ホージーら強打者が多かったが、今回は1995、97年の日本一に大きく貢献した右腕の
テリー・ブロスを選出した。来日初年度の95年にはノーヒットノーランを達成するなど14勝。リーグ優勝時の胴上げ投手にもなっている。日本シリーズでも2勝を挙げて優秀選手賞を受賞。98年は
西武に移籍したが、2メートルを超える長身から投げ下ろすストレートとフォークを忘れられない燕党も多いはずだ。
広島東洋カープ
1990年代の在籍こそ、96、97年の2年間だったが(2000~03年にも在籍)、その2年間に連続で打点王を獲得した
ルイス・ロペスが、広島ではNo.1だろう。キャンプではさっぱりだったが、
山本一義打撃コーチの指導を聞き入れたり、日本人投手の特徴をノートに書き溜めたりする努力もあり、結果を残した。96年は109打点で打点王、25本塁打で打率.312。97年はそこからさらに数字を伸ばし、112打点で打点王、30本塁打、打率.320を記録した。97年には、8月6日の
中日戦(ナゴヤドーム)で、そこまで開幕から負けなしの18試合連続セーブポイントを続けていた
宣銅烈から逆転打を放ち、記録にストップをかけたことも。
中日ドラゴンズ
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中日・パウエル
1994~96年まで3年連続首位打者の
アロンゾ・パウエルを置いてほかにいないだろう。現在は背番号93を背負って中日の打撃コーチを務めている。初来日は1992年のシーズン途中。
マーク・ライアルが故障で帰国し、代役として白羽の矢が立った。来日当初は日本の野球に苦しんだものの、研究熱心な性格で結果を残していった。ミート力にすぐれ、広角に打ち分ける技術は見事だったが、左膝の故障もあって97年限りで退団。98年は阪神で1年だけプレーした。今では当たり前となっているエルボーガードを最初に使った選手としても知られている。ちなみに次点は99年の優勝に貢献したゴメス、宣銅烈か。
横浜ベイスターズ
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横浜・ローズ
1990年代という枠を飛び越えて、球団史上最強の助っ人と言ってもいいだろう。
ロバート・ローズは93年に来日。当初は、それほど評価されていなかったが、いきなり打点王に輝いた。無理に引っ張らず、右方向へ流す巧みさを備えていた。以後、打線の中心となり、97年は最高出塁率、99年は首位打者と打点王、最多安打、2000年も最多安打と、毎年のように打撃タイトルを獲得した。98年はマシンガン打線の四番に座り、38年ぶりVの原動力となった。年俸交渉で折り合いがつかず、00年限りで横浜を退団した。
写真=BBM