前半戦を終えた段階で、最も多く登板しているのは
中日の
又吉克樹と
ソフトバンクの
嘉弥真新也だ。ともに中継ぎとしてリーグトップの42試合で起用されており、後半戦でも活躍が期待されている。残り試合はだいたい60前後なので、最終的には70試合ぐらいの登板になるペースだ。では、もし70試合登板したとして、歴代登板記録の何番目に食い込むことができるのだろうか? 今回は、「シーズン登板記録ランキング」に迫ってみた。
歴代最多はJFKトリオの一角

2007年に歴代最多のシーズン90試合登板を果たした阪神・久保田
シーズン登板数の歴代10傑は以下のとおり。
1位 90試合
久保田智之(阪神/2007年)
2位 81試合
平井克典(
西武/2019年)
3位 80試合
藤川球児(阪神/2005年)
4位 79試合
久保裕也(
巨人/2010年)
4位 79試合
浅尾拓也(中日/2011年)
6位 78試合
稲尾和久(西鉄/1961年)
6位 78試合
菊地原毅(
広島/2001年)
8位 77試合
福間納(阪神/1984年)
9位 76試合
木塚敦志(横浜/2007年)
9位 76試合
青木高広(広島/2011年)
歴代最多は2000年代半ばの阪神が擁した最強リリーフトリオ「JFK」の一角を担った久保田智之。2007年は、それまでの抑えのポジションからセットアッパーに回った年で、毎試合のようにタフに投げ続け、90試合というNPB記録を打ち立てた。
久保田に次ぐ数字を残したのが西武の平井克典だ。プロ2年目の2018年にリリーフとして64試合登板とハードな起用に応えたが、セットアッパーに回ることになった2019年はさらに登板数が増加。最終的にチームのレジェンドである稲尾和久を上回り、パ・リーグ新記録となる81試合を投げ抜いた。
歴代3位は昨年引退した藤川球児。中継ぎに本格転向して2年目の2005年は、不動のセットアッパーとして活躍し、久保田、
ジェフ・ウィリアムスと3人で強力な中継ぎ陣を形成した。ちなみに、藤川の速球が「火の玉ストレート」と呼ばれだしたのも2005年だ。
上位3人はいずれも80試合以上に登板。年間試合数のおよそ5分の3でマウンドに立たせるチームもチームだが、その期待に見事に応えた選手は驚異的だといえる。
4位は久保裕也と浅尾拓也が79試合で並んでいる。次いで、78試合で菊地原毅と、レジェンド・稲尾がランクイン(稲尾は78試合中先発30試合という別格の怪物記録だが……)。以下、77試合の福間納、76試合の木塚敦志、青木高広という順になっている。こうして上位10傑を見ると、2000年代以前は稲尾と福間のみ。後はすべて2000年代以降だ。それだけ中継ぎの需要、重要さが増しているということだろう。
80試合以上投げた投手で防御率0点台はなし

中日・浅尾は79試合登板で防御率は驚異の0.41
シーズン登板数の歴代10傑が記録した「その年の防御率」を見ると、0点台だったのは0.41という驚異的な数字を残した浅尾のみ。歴代最多登板の久保田が1.75、2位の平井が3.50、3位の藤川が1.36で、80試合以上投げた3人はいずれも0点台は達成できていない。
今シーズン、登板数の多い投手では、最多登板数で並んでいる又吉が1.13、嘉弥真が4.18と現在のところは0点台ではない。しかし、2人に次ぐ41登板の西武・
平良海馬が0.23と驚異的な数字を記録している。後半戦、大車輪の活躍で76試合以上登板し、0点台も維持できれば、歴代10傑では浅尾以来の0点台となる。残り試合的に可能性はかなり薄いが、万が一80試合登板で0点台となればNPB史上初だ。
後半戦の開始は8月13日。前半戦で40試合以上投げている投手は、後半戦どこまで登板数を伸ばすのか。夏場はさらにタフさが求められるが、暑さに負けない活躍を期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM