わずか9年の波乱万丈
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西武では“サンフレッチェ”の一員としてリリーフで活躍
シーズン中のトレードは、オフに比べれば圧倒的に少ない。これを3年連続で経験したのが
杉山賢人。1980年代から90年代にかけて黄金期にあった西武の投手陣を象徴する強力リリーフ陣“サンフレッチェ”を形成した左腕だ。もともと
鹿取義隆、
潮崎哲也の右腕2人によるリリーフ陣だったが、93年に左腕の杉山が加入したことによって、ほとんど無双に。1年目から即戦力としてリーグ4連覇に貢献した杉山は8月の途中までは無敗という安定感で、最終的にはリーグ最多の54試合に投げまくって新人王にも輝いている。
1年目こそ完投もあった杉山だが、その後は救援のマウンドばかりに。西武のリーグ連覇は翌94年で途切れたものの、97年から98年にもリーグ連覇を達成。このときもリリーフで貢献しているが、99年6月に外野手の
平塚克洋との交換で最初のシーズン中トレード、
阪神へ移籍すると、
野村克也監督から「次の
巨人戦で先発しろ」と、いきなり先発に指名されることに。「いくら度胸のある僕でもムリです」と矜持を見せながら断ろうとした(?)と言うが、怒られてマウンドに立ち、打ち込まれて3イニングも投げ切らないままKO。
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99年途中には阪神へ移籍
阪神では最終的に16試合に登板して2勝を挙げたが、翌2000年は登板のないまま、またしてもシーズン途中の5月に同じ左腕の
西川慎一、内野手の
吉田剛との交換で近鉄へトレード移籍となった。近鉄では左のワンポイントとして27試合に登板するも、その翌01年シーズンが開幕したばかりの4月には横浜(現在の
DeNA)へ。ふたたび登板のないままのシーズン中トレードで、やはり同じ左腕の
関口伊織との交換だった。横浜を率いていたのは西武での恩師というべき
森祇晶監督。32試合に登板したが、森監督に「これで最後だぞ」と言われ、トライアウトを経て現役を引退した。
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00年途中は近鉄、01年途中には横浜[写真]へ移籍した
異例の3年連続シーズン途中トレードとなった杉山だが、これには「将来のために、いろいろなチームを見たい、12球団すべて回りたい、くらいに思っていました」という思いも反映されていたという。わずか9年のキャリアながら3度の移籍、登板は通算333試合を数える。
文=犬企画マンホール 写真=BBM