2004年に当時日本最速の158キロをマークしたヤクルトの五十嵐亮太がFAでメッツと2年総額300万ドルの契約を結んだのは2009年12月。巨人から入団した高橋尚成とチームメートになった。 メジャーでの成績だけを見ると……

メッツ時代の五十嵐
2010年のスプリングトレーニングでは13試合で防御率7.90と数字はいまひとつだったが、無事に開幕を迎える。デビュー戦は4月8日のマーリンズ戦。高橋が初登板して黒星を喫した試合の翌日だった。出番は1対3で迎えた7回。先発ニースに続く二番手で登板し、先頭打者に四球を与えたものの、遊ゴロ併殺と二飛で上々のデビューを飾った。
7試合目の登板となった4月20日のカブス戦で初ホールド。この時点で防御率1.35の好成績を残していたが、この試合後に左太腿裏痛で戦列離脱。結果的にはこのブランクが大きく影響した。5月23日のヤンキース戦で復帰するも、この試合で1/3回で3失点と崩れ、5月28日のブリュワーズ戦では初黒星。5月31日のパドレス戦では1/3回で6失点と大荒れだった。
以後も調子を取り戻せず7月にはマイナー降格を経験。1年目は34試合で1勝1敗2ホールド、防御率7.12に終わった。11年もマイナーと行き来し、メジャーでは45試合で4勝1敗2ホールド、防御率4.66。シーズン終了後にFAとなった。
12年のメジャー成績はブルージェイズとヤンキースで計4試合。0勝0敗で防御率18.00だった。結局メジャー通算成績は83試合で5勝2敗4ホールド、0セーブ、防御率6.41だった。
成績を見ると、アメリカでの3年間は成功とは言えまい。だが、帰国後の活躍につながった。13年から
ソフトバンクで6年間、古巣ヤクルトで2年間プレーし、18勝10敗110ホールド、16セーブ、防御率2.31だった。メッツ移籍前は47勝29敗53ホールド、54セーブ、防御率3.25。帰国してからのほうが、成績が上がったのだ。
もともと速球とフォークの投手だったが、アメリカでの3年間でカットボールやスライダー、ナックルカーブを習得。帰国後に大きな武器となった。「思い込みを取り払って幅広い視野が持てるようになった」と、五十嵐はメジャーでの収穫を口にしていた。アメリカでの経験は、現役生活においてプラスになったのだった。
『週刊ベースボール』2021年12月6日号(11月24日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images