2年連続優勝を逃して
背番号「0」に変更して飛躍した長嶋
古くからの野球ファン、そして漫画ファンであれば、小学館の小学生向けの学年誌に掲載されていた寺田ヒロオの野球マンガ「背番号0」を覚えている人もいるだろう。そのマンガの世界だけと思われていた背番号「0」が、プロ野球で本当に着けられることになったのは1983年のことだった。背負ったのは
広島の
長嶋清幸だ。
前年、79試合に出場し、レギュラーに手が届いた3年目の長嶋だが、当時の背番号は「66」、一流選手の証でもある1ケタ番号を希望していた。とはいっても、広島の1ケタの背番号は「2」が
高橋慶彦、「3」が
衣笠祥雄、「8」が
山本浩二など、主力選手で埋まっている。
ちょうど前年、メジャーのナ・リーグで首位打者になったアル・オリバー(エクスポズ)が背番号「0」を着けていることが話題になっていた。79、80年の2年連続日本一以降、優勝を逃していた広島は83年、キャッチフレーズを「ゼロからのスタート」とし、長嶋に「0」を与えた。背番号「0」はチームの象徴として、一躍注目を集めることになった。
長嶋はこの年、外野手として全試合出場を果たし、押しも押されもせぬレギュラーになった。勝負強さが光り、意外性のある一打でしばしばチームを救う。「ミラクル男」と呼ばれ、広島にとってなくてはならない存在になった。84年には9月15、16日に
巨人・
西本聖、
江川卓から連続サヨナラ本塁打を放ち、さらに阪急との日本シリーズではMVPに輝いた。
背番号「0」はセンセーショナルなシーンを演出、その後、各チームに多くの背番号「0」が誕生したが、後年、長嶋は次のように語っている。
「特殊な番号であるのは間違いないわけで、僕が失敗すると、いい成績を残せないと、それでしばらく0番を着ける人が出てこないとか、あんな変な番号を着けているから打てないんだとか言われてしまうんじゃないか、と考えてね。そこで、ある程度頑張れたことで、そのあとほかにも0番を着ける選手が出てくれたと思うと、少し誇らしく思います」
写真=BBM