最も多かったのはヤクルト、DeNAの3人

今季は一番で86試合にスタメン出場したオリックス・福田
今シーズン同じ打順で100試合以上スタメン出場を果たした選手は16人いた。
◎オリックス
なし(最多=
福田周平 一番 86試合)
◎
ソフトバンク 甲斐拓也 九番 116試合
◎
西武 山川穂高 四番 129試合
◎
楽天 浅村栄斗 三番 140試合
島内宏明 四番 141試合
◎
ロッテ 中村奨吾 三番 111試合
◎
日本ハム なし(最多=
近藤健介 三番 56試合)
◎
ヤクルト 塩見泰隆 一番 108試合
山田哲人 三番 117試合
村上宗隆 四番 141試合
◎
DeNA 佐野恵太 三番 105試合
牧秀悟 四番 135試合
宮崎敏郎 五番 107試合
◎
阪神 佐藤輝明 四番 108試合
◎
巨人 岡本和真 四番 101試合
◎
広島 ライアン・マクブルーム 四番 113試合
坂倉将吾 五番 118試合
◎
中日 ダヤン・ビシエド 四番 125試合
最も多かったのはヤクルトとDeNAの3人。ヤクルトは一番の塩見、不調だったが三番の山田、不動の四番・村上で、見事にリーグ連覇を果たした。DeNAは佐野、牧、宮崎のクリーンアップが100試合以上で夏場の快進撃を支えた。
日本ハムも日替わり打線

日本ハムも同じ打順で100試合以上出場した選手がおらず、近藤の三番で56試合が最多だった
パ・リーグの2球団が同じ打順で100試合以上出場した選手がいない。優勝したオリックスと最下位だった日本ハムだ。日本ハムは監督の
新庄剛志監督こと、BIGBOSSが日替わりで打順を替え、一番=22人、二番=26人、三番=18人、四番=16人、五番=20人、六番=21人、七番=24人、八番=25人、九番=30人とほとんどの打順で20人以上の選手を起用した。その中でトップだったのは三番の近藤健介で56試合。50試合を超えたのはほかに四番の
野村佑希の52試合しかいない。
オリックスは昨年の本塁打王・
杉本裕太郎が特に序盤不調で二、九番を除く打順を打ち、それに伴い三番だった
吉田正尚が四番を打つなど、固定した打順はなかなか作れなかった。チームのトップは一番・福田周平の86試合。それでもリーグ連覇を勝ち取ったオリックス。2リーグ制後、延べ146チームがリーグ優勝を果たしたが、このようなケースはたったの14例しかない(選手は最多)。
1952年 南海 三番・
飯田徳治=92試合
1958年 巨人 一番・
広岡達朗=98試合
1963年 巨人 一番・
柴田勲=89試合
1963年 西鉄 八番・
城戸則文=79試合
1965年 巨人 三番・
王貞治、四番・
長嶋茂雄=84試合
1966年 巨人 四番・長嶋茂雄=93試合
1972年 巨人 四番・長嶋茂雄=92試合
1982年 西武 三番・
スティーブ・オンティべロス=94試合
1996年 オリックス 四番・
トロイ・ニール=94試合
1997年 ヤクルト 八番・
宮本慎也=98試合
2013年 巨人 四番・
阿部慎之助=99試合
2014年 巨人 二番・
片岡治大=74試合
2020年 ソフトバンク 三番・
柳田悠岐=97試合
2022年 オリックス 一番・福田周平=86試合
オリックスは2年前のソフトバンク以来だが、この年は新型コロナの影響で120試合制。それを除くとパ・リーグでは、オリックスが前回日本一になった1996年以来ということになる。この年は前年はほとんど一番だった
イチローが、一番=79試合、三番=51試合と三番も任されたために起きた現象だった。
固定メンバーでのVが多い西武
逆に固定した打順でリーグ優勝を勝ち取ったチームは1991、2008年の西武で7人だ。
◎1991年
一番
辻発彦 124試合
二番
平野謙 121試合
三番
秋山幸二 109試合
四番
清原和博 120試合
五番
オレステス・デストラーデ 127試合
六番
石毛宏典 110試合
八番
伊東勤 116試合
◎2008年
一番 片岡易之 135試合
二番
栗山巧 130試合
三番
中島裕之 120試合
四番
クレイグ・ブラゼル 121試合
五番
G.G.佐藤 102試合
六番
中村剛也 122試合
八番
細川亨 128試合
西武はそのほか、1992、2002年が6人、1985、1997年は5人と、打順を固定したメンバーでの優勝が多いチームだ。
文=永山智浩 写真=BBM