ベストオーダーには指名打者のみ

1989年から4年間、ロッテで活躍したディアズ
80年を超えるプロ野球の歴史で活躍してきた助っ人だけで打線を組もうとするときに、困るのは捕手。マスクをかぶった選手は少なからずいるが、週刊ベースボール関連のムック本などで過去に紹介されたベストオーダーだけから捕手を探すと、プロ野球が始まった1936年の名古屋(
中日)で四番打者を務めていた
バッキー・ハリスだけになってしまう。時は流れ、彼のプレーを目の当たりにした人は少なくなっているだろう。いまのファンに捕手のハリスといわれても、なかなかピンとこないのは仕方のないことだ。
一方、同じ中日の育成から支配下となり、この2023年から
日本ハムでプレーしている
アリエル・マルティネスも捕手として出場したことで話題となったが、平成の時代を知るファンにとって忘れられない助っ人の捕手といえば、ロッテの
マイク・ディアズだろう。ディアズは平成元年の1989年に入団。チームが川崎から現在の千葉へ移転してから、強風が名物の千葉マリンスタジアムでゴーグルをつけたパイオニアとしても知られる。在籍した4年間、ロッテのベストオーダーでディアズは常に四番打者だったが、ポジションは指名打者のみ。一塁や外野もこなしたディアズだが、他の選手との兼ね合いなどにより、各シーズンで指名打者がメーンとなってしまったということだろう。
今回は、初めてディアズがマスクをかぶった90年のベストオーダーで「四番・捕手」として固定。空いた指名打者の枠には、ロッテの歴史を通して最強の指名打者を選んで打線に入れてみたい。ただ、もともとの捕手がいた打順に最強の指名打者が入るだけになってしまうので、ディアズが固定された四番を除き、最強の指名打者が多かった打順で90年の打線に入れてみよう。そこで重なった選手の打順は繰り上げ、または繰り下げると、以下のラインアップとなった。
1(中)
西村徳文 2(遊)
佐藤健一 3(指)リー
4(捕)ディアズ
5(右)
愛甲猛 6(一)
山下徳人 7(二)
上川誠二 8(三)
初芝清 9(左)
横田真之 実際のベストオーダーは?

ロッテに11年間在籍し、通算283本塁打を放ったリー
指名打者制が始まったのは75年で、それ以降でロッテがリーグ優勝、日本一を飾った2005年の指名打者が李承燁、シーズン3位から日本一にまで駆け上がった10年の指名打者は
福浦和也で、ともに打順は七番だった。その意味の貢献度でいえば彼らを選出するべきなのかもしれないが、今回は
張本勲が来た1980年だけは譲ったものの、78年から87年までの長きにわたって、ほぼ指名打者として出場し続けた
レロン・リーを選んでみた。通算4000打数を超える打者ではトップとなる打率.320の安定感に強打、勝負強さを兼ね備えた打棒は強力だった。当初はディアズと同じく四番が多かったリーだが、
落合博満が成長してからは、その前を打つ三番が多くなる。よって、リーが三番に入り、打順でディアズと並ぶことに。そのため、実際のベストオーダーで三番にいた愛甲猛が五番に下がり、実際の五番からは捕手の
青柳進が打っていた八番まで打順が繰り下がった。
その八番打者になったのがレギュラーに定着する前の初芝清。のちに打点王にも輝いて“幕張のファンタジスタ”の異名を取った初芝のブレークが早まったと仮定して、五番などでクリーンアップに並べたら、打線の迫力も増しそうだ。ちなみに、ディアズに弾かれる形となった青柳は92年に自己最多の107試合に出場、90年は87試合の出場で頭角を現したばかりだった。
実際の90年、ロッテはBクラス5位。優勝した黄金時代の
西武とは25ゲーム差だが、3位の近鉄とは10.5ゲーム差。なんとかAクラスには入りたいが……。では、続きはファンの皆様の夢の中で。
(ロッテ1990年のベストオーダー)
1(中)西村徳文
2(遊)佐藤健一
3(右)愛甲猛
4(指)ディアズ
5(一)山下徳人
6(二)上川誠二
7(三)初芝清
8(捕)青柳進
9(左)横田真之
文=犬企画マンホール 写真=BBM