明暗が分かれた落合博満とロッテ

ロッテ時代の1985、86年、三冠王に輝いた落合
落合博満が2年連続3度目の三冠王に輝いたのが1986年のことだ。だが、そのオフ、慕っていた
稲尾和久監督が退任することで「稲尾さんのいないロッテにいる必要はないでしょう」と移籍を志願。最終的には
星野仙一監督が就任したばかりの
中日へ
牛島和彦、
上川誠二ら4人と落合1人の交換トレードで移籍していった。中日がリーグ優勝を飾ったのが落合の移籍2年目となる88年だ。落合にとっては初めて経験する美酒でもあった。
一方、じわじわと順位を下げていたのがロッテ。落合のいた86年は4位だったが、ついに最下位となったのが88年だ。これだけでも明暗が分かれたといえそうだが、就任2年目の
有藤道世監督が“ヒール”となったのが、リーグ優勝が懸かった近鉄を本拠地の川崎球場で迎え撃った10月19日の最終戦ダブルヘッダー、いわゆる“10.19”だった。すでに最下位が決まっていたロッテ。対する近鉄は、このダブルヘッダーに連勝すれば首位の
西武を勝率で上回り、優勝が決まる。結果的には近鉄は第1試合こそ勝ったものの、第2試合で規定による時間的な制約もあって引き分けて優勝に届かず。有藤監督の抗議で9分間の中断もあり、近鉄には“時間の壁”も立ちはだかったと表現されて、この2試合での近鉄ナインの奮闘を目撃したプロ野球ファンからは、有藤監督だけでなく、ロッテにもネガティブな印象を持たれた面もあっただろう。
ロッテにしてみれば、目の前の胴上げを阻んで意地を見せた、といえるだろうが、そもそも第1試合で近鉄に勝っていれば、せめて第2試合で近鉄を圧倒していれば、ファン心理が近鉄に傾くこともなかったはずだ(あの名勝負もなかったのだが)。もし落合がいてくれたら……。そう思ったロッテのファンもいただろう。では、このダブルヘッダーに落合がいたら、球史は変わっていただろうか。今回は、ロッテ88年のベストオーダーではなく、このダブルヘッダー第2試合のオーダーに、中日のベストオーダーから落合を打順と守備地位を変えずにスライドさせてみると、以下のラインアップとなった。
1(二)
西村徳文 2(三)
佐藤健一 3(中)
高沢秀昭 4(一)落合博満
5(指)マドロック
6(右)
岡部明一 7(左)
古川慎一 8(捕)
袴田英利 9(遊)
森田芳彦 実際のオーダーは?

1988年の愛甲は打率.286、17本塁打、63打点をマークした
88年の中日で落合は「四番・一塁」。これをロッテの打順に入れて、あとは機械的に一塁手を外し、四番打者を繰り上げ、または繰り下げてみた。落合に弾き出される形となったのは
愛甲猛。実際の四番打者は高沢秀昭で、落合を四番に入れたことで高沢が三番に繰り上がった。これは、あくまでも自動的な作業だ。
ただ、ここに戦略的な視点を入れるとオーダーは変わってくるだろう。多くの落合ファンが知るように、落合はロッテ時代に二塁や三塁も守っていた。中日でも三塁手としてベストオーダーに並んだこともある。一方、打線から外れた愛甲は、もともとは投手だったが、落合の助言もあって打者に転向、初めて規定打席に到達したのが88年だった。また、88年の盗塁王で、この試合では二塁で先発している西村徳文はベストオーダーでは三塁手で並んでおり、落合が二塁で、いぶし銀の佐藤健一が控えか遊撃に回る、あるいは1年の在籍に終わった
ビル・マドロックの代わりに落合が指名打者として出場することもあるかもしれない。
これでロッテ打線は強化されたかもしれないが、近鉄ナインの優勝に賭ける情熱もすさまじかった。落合1人の加入で、あの勢いをしのげるかどうか。では、続きはファンの皆様の夢の中で。
(ロッテ1988年10月19日ダブルヘッダー第2試合のオーダー)
1(二)西村徳文
2(三)佐藤健一
3(一)愛甲猛
4(中)高沢秀昭
5(指)マドロック
6(右)岡部明一
7(左)古川慎一
8(捕)袴田英利
9(遊)森田芳彦
文=犬企画マンホール 写真=BBM