定岡正二氏、篠塚和典氏、川口和久氏、槙原寛己氏の書籍『昭和ドロップ!』が5月2日(一部地域を除く)、ベースボール・マガジン社から発売されました。昭和に生まれ育ち、昭和、平成に輝いた4人が、巨人、長嶋茂雄、青春の多摩川ライフなど、あのころのプロ野球を愛あり笑いありでたっぷり語り合う1冊です! これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載です。 「マウンドにいた中畑さんと原がガクッとなって、そのあと大笑いしてたのを思い出すね」(定岡)

『昭和ドロップ!』表紙
今回は定岡正二さん、篠塚和典さん、川口和久さん、槙原寛己さんで
藤田元司監督について語ってもらった章の一部である。
――
王貞治さんの監督時代は
角盈男-
鹿取義隆-
サンチェとか、今考えると時代を先取りしたような継投野球でしたが、藤田さん時代はとにかく完投数がすごかった。1989年は130試合で69、1990年は70完投しています。
槙原 というか、代えてくれないんです。特に三本(
斎藤雅樹、
桑田真澄、槙原の先発三本柱)は絶対に代えてくれなかった。
篠塚 そりゃ一番いいピッチャーが投げてるんだから、逆に代えづらいよな。
――2022年は
阪神の15完投が最多で、ほかは全部1ケタです。
川口 昭和の時代とは違うからね。
槙原 もともと「先発は完投しなくてはいけない」という時代でしたが、藤田さん時代は、さらに完投に対する意識が強くなりました。三本柱だけじゃなく、
木田優夫、
香田勲男、
宮本和知とか、先発ピッチャーは年齢の近い若手ばっかりだったので、「あいつが完投するなら、俺も!」と、みんなで競って頑張れた気がします。
川口 当時、カープなら
津田恒実とか、ストッパーと呼ばれる存在はいたけど、基本的にリリーフは先発より力がないピッチャーがやっていた。俺はマウンドで「次、誰投げるんですか」って聞いて「××」と言われたとき、「じゃあ、このまま投げます」って言ったことあります。
槙原 サダさんだけですよね。マウンドで「代えてください」って言ったの。
定岡 よく覚えているな(苦笑)。
槙原 「どうする?」って言ったら、普通の人はみんな「行きます!」って言うじゃないですか。サダさんだけは「代えてください!」って(笑)。
定岡 それはもう、リリーフの角が全盛期だったからだよ。僕だって、先発ピッチャーは完投してなんぼの時代に育ってきているから、「投げます!」って言わないといけないんだけどね。あのときは相手が左打者だったんで、(左投手の)角が出たら確実に抑えられる場面だった。僕の中のコンピューターが「ここは交代で当然だよな」となったんだ。僕が初めてじゃないか、全体のバランスを考えて「代わります」って言ったのは。そのころからバランス感覚がよかったんだね。
川口 説明すればするほど、わざとらしくなってますよ(笑)。でも、その後も、そういう選手はあまり聞かないですよね。俺が巨人のコーチのとき、
杉内俊哉(現巨人コーチ)に「代わるか?」って聞いたら「はい、代わります」って、あっさり言われて、「なんや!」って感じになったことがありましたけど(笑)。
定岡 あいつは鹿実(鹿児島実高)の後輩だから伝統かな(笑)。
川口 そうか、つながってますね。
定岡 僕が「代わります」って言ったときに、マウンドにいた中畑さんと原がガクッとなって、そのあと大笑いしてたのを思い出すね。シノは黙ってたな。いつもクールだからね。
篠塚 その前から「交代させてください」っていうオーラを出してましたからね。やっぱりなという感じでした。
槙原 でも、藤田さんと言いながら、サダさんの話がメーンになっちゃいましたね。
定岡 すみません、藤田さん!