元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 使ったほうが悪くない?

『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回は南海時代、前後期制が始まった1973年の話だ。
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あの年は初めての前後期制というのもあって、最初が肝心と思ったのか、開幕から野村克也さん(兼任監督)が俺をよう使った(4月は12試合中8試合、5月は26試合中13試合)。
確か5月末(5月27日から)には7試合連投もあったよ。1週間でダブルヘッダーが2つだったけど、それも全部ね。
連投自体は11試合とかもあったから(72年)7試合くらいどうでもいいんだけど、その最後で3試合連続サヨナラホームランを打たれたんだ。
店のお客さんには「ギネスに申請したら」って言われるけど、たぶん世界唯一の記録で、塗り替えられることもないんじゃないかな。
だって、普通は使わんでしょ、サヨナラホームランを打たれたやつを3試合連続でさ。野村さんは「絶対に破られない世界のワースト記録だ」と言っていたけど、俺も言いたかったよ、「使ったそっちが悪くない?」って。
そうは言っても俺の唯一の世界記録だから、ちょっと振り返ってみようか。最初の試合は
ロッテ戦(5月30日。後楽園)のダブルヘッダー2試合目で、
榊親一さんにレフトスタンドにサヨナラ本塁打を打たれた(3ラン。試合は3対5)。
次は西宮での阪急戦(6月1日)だったけど、このときは
福本豊にライトスタンドに打たれちゃった。カウントはノースリーだから打ってくるなんて思わんよね。福本もあとで「ノースリーから打ったのは初めて」と言っていたけど、おかしなことをせず、いつもと同じようにしてろって。
次も西宮の阪急戦(2日)だったけど、試合前、野村さんが余計なことを言ったんだよ。「ミチ、二度あることは三度あると言うけど気にするな」って。それを言うなら「三度目の正直だ。今度は抑えられるぞ」と言ってほしいよね。
半分ジョークだったのかもしれないけど、すごく嫌な予感がして「勘弁してくれよ」と思った。悪いイメージが頭にこびりついちゃうしね。
この試合はダブルヘッダーだったけど、1試合目が打撃戦となって7対7で延長戦になった。本当は使う気なかったのかもしれないけど、延長戦になったことで10回裏から登板し、11回裏一死のあとに引っ張りの右バッターだった
長池徳二さんにライトポールに当てられるサヨナラホームランを打たれた。
「うまく右に打った」と長池さんは言ってたらしいけど、ウソつけって。顔が反対方向を向いていたよ。単なる振り遅れでしょ。
翌日だったかな。入院している知り合いをお見舞いに行ったら、逆に激励されちゃった。「気を落とすな、頑張れ」って。入院している人に励まされているようじゃダメだよね。