上武大・進藤勇也は2年時の大学選手権4強、3年時は準優勝。侍ジャパン大学代表においても3、4年時に正捕手としてマスクをかぶった。経験、実績とも申し分なく、大学生捕手として、15年ぶりのドライチ指名はあるのか――。 ※注:ドラフト年度は開催年度 田淵は歴代11位の474本塁打

上武大・進藤は安定感ある守備力を軸に、打撃においても勝負強さを見せる[写真=矢野寿明]
「専門職」と言われる捕手。毎年、各球団とも「投手重視」のドラフト戦略を取ることが多いなか、捕手が最上位(ドラフト1位または自由獲得枠、希望枠)で指名されるケースは少ない。2000年以降で17人。その内訳を見ると、高校生10人、大学生5人、社会人2人となっている。今年のドラフトでは強肩強打の上武大・進藤勇也が上位候補に挙げられているが、その大学生に絞って、過去のドラフト最上位捕手の活躍ぶりを振り返っていきたい。

田淵[1968年・法大-阪神]
大学生ドライチ捕手で大成した選手といえば、1968年に阪神から1位指名を受けた法大・
田淵幸一だ。ルーキーイヤーから定位置を確保すると22本塁打を放って新人王。74年には自己最多の45本塁打。75年には43本のホームランを放ってタイトルを獲得。
王貞治(
巨人)の連続シーズン本塁打王を13年でストップさせた。また、72年から5年連続でベストナイン。73年と74年はダイヤモンドグラブ賞を捕手として受賞している。79年に
西武へトレードされると主に指名打者で起用されるようになったが、80年には43本塁打を放って97打点。82年と83年には日本一を経験した。NPB通算474本塁打は歴代11位。さらに1532安打、1135打点を挙げている。また、90年からの3シーズンはダイエーの監督を務めた。

阿部[2000年・中大-巨人]
00年、逆指名制度の最後の年に巨人から1位で指名された中大・
阿部慎之助も好成績を残した。1年目の開幕戦からスタメンを任され、プロ初打席で初安打初打点。以降も正捕手としてプレーし、12年には打率.340、104打点で2冠を獲得。MVPにも選出された。捕手でベストナイン9回は
古田敦也(元
ヤクルト)と並ぶセ・リーグ最多タイ。ゴールデン・グラブ賞は4回。NPB通算2132安打、406本塁打、1285打点の数字を残し、侍ジャパン日本代表としても09年のWBCで世界一となった。

細川[2001年・青森大-西武]
通算1428試合に出場した
細川亨は01年に自由獲得枠で青森大から西武へ。2年目から
伊東勤と併用され、3年目に正捕手。08年には133試合に出場し、チームは日本一に。細川もベストナインとゴールデン・グラブ賞を受賞した。11年に
ソフトバンクへ移籍し、この年に2度目のベストナインとゴールデン・グラブ賞を獲得。その後もキャッチャーとしての総合力が高さを買われて
楽天、
ロッテと4チームを渡り歩き、19年間のプロ生活をまっとうした。
山倉は1987年にMVP受賞

山倉[1977年・早大-巨人]
77年には2人の大学生捕手が同時に1位指名を受けた。早大・
山倉和博は巨人に入団。新人ながら開幕スタメンに抜擢され、その試合で本塁打。3年目からは8年連続で100試合以上に出場し、87年は打率.273、22本塁打。投手陣をリードする守備面での貢献も認められ、MVPを受賞した。90年に現役を退くまでベストナイン3回、ゴールデン・グラブ賞も3回獲得している。
袴田英利は法大からロッテへ。正捕手として7年目の84年から5年連続で100試合以上に出場。大学では
江川卓(元巨人)の剛速球を、プロに入ってからは
村田兆治のフォークを難なくつかみ、キャッチングのうまさには定評があった。
阪神ファンにとって忘れない選手が85年の日本一に貢献した
木戸克彦。82年に指名されると、法大の先輩・田淵が着けていた背番号22を着けた。85年に正捕手の座を得ると、103試合に出場し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。96年に引退後はコーチや二軍監督などを歴任し、今年はBFA女子野球アジアカップで優勝した女子日本代表のヘッドコーチを務めた。

高木[1995年・慶大-西武]
95年、捕手で初めて逆指名で1位となり、西武から指名されたのが慶大・
高木大成だ。ただ、2年目から打撃を生かすために一塁手へ転向。97年と98年はその一塁手部門でゴールデン・グラブ賞に輝いた。同じく逆指名で96年にロッテから指名されたのが青学大・
清水将海。1年目から開幕戦の先発マスクをかぶるなど77試合に出場。5年目の01年には正捕手として123試合に出場した。05年からは
中日、10年のシーズン中にはソフトバンクへ移籍し、11年に引退。その後はコーチとして
甲斐拓也(ソフトバンク)や
松川虎生(ロッテ)を指導し、今季はソフトバンクに新設された四軍のバッテリーコーチを務めていた。
2008年の日本ハム・大野が最後
65年の第1回ドラフト会議で東京(現ロッテ)から1位指名を受けたのは早大・
大塚弥寿男。だが、
醍醐猛夫からレギュラーを奪うことはできず。7年でプロ生活を終えることに。翌66年には第二次ドラフトで立大・
槌田誠が巨人から1位指名。槌田はプロ初安打が代打満塁本塁打。新人選手の初安打が満塁弾となるのは史上2人目の快挙だった。しかし、こちらも巨人のV9を支えた森昌彦の牙城を崩すことができず。70年には外野手登録となっている。
71年は芝浦工大・
道原博幸(裕幸)、90年は法大・
瀬戸輝信がそれぞれ
広島から指名された。道原は4年目の75年に自己最多の75試合に出場し、球団初のリーグ優勝に尽力。瀬戸は98年に当時の正捕手・
西山秀二の故障もあって120試合に出場した。どちらも二番手捕手の期間が長かったが、チームには欠かせない存在だった。01年は細川と並び、法大・
浅井良も阪神へ。しかし、正捕手には
矢野輝弘(燿大)が君臨しており、07年に外野手へ転向。06年は希望枠で東洋大の
田中大輔が中日へ。08年は同じく東洋大から
大野奨太が
日本ハムの1位指名を受けた。
大野は長らく
鶴岡慎也と併用されていたが、鶴岡がチームを去った14年は105試合に出場。16年は109試合に出場し、初のゴールデン・グラブ賞を獲得した。17年には侍ジャパン日本代表でWBC出場。同年オフにはFAで中日へ移籍し、今年9月に今季限りでの引退が発表された。
ドラフト最上位、かつ捕手というポジションからか、全体的に一軍の出場試合数が多く、プロ在籍年数も長い選手が多いようだが、大学生のドライチ捕手はこの15年、現れていない。今年はいかに。
取材・文=大平明 写真=BBM