若い投手を育てろ

『猛虎二番目の捕手』表紙
11月7日、元
阪神-大洋のダンプさんこと、
辻恭彦さんの著書『猛虎二番目の捕手』が発売されました。タイトルどおり1962年途中から1974年までの阪神時代のお話です。
大洋時代以降は、この本が好評ならそのうちまたと思っています。
以下はそのチョイ出し。今回はずっと一軍のブルペンにいて試合に出してもらえなかった時代の話です。
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ブルペン時代、一番大きかったのが
石川緑さんに言われた言葉です。
中日から昭和37年(1962年)に阪神に来た下手投げのピッチャーです。愛知県出身で、中日時代、僕の実家の近くに住んでいたのもあって、随分かわいがってもらいました。
立ち上がりで、その日の出来が分かる人でした。1回でつかまることもあったけど、1回を過ぎたら必ず5、6回は投げられる。だから僕がブルペンにいたときは『先発・石川』となったら最初から次の投手を準備しなきゃいけないのでバタバタです。
ただ、1回を抜けたらもう大丈夫。2回以降はのんびりやっていたのを思い出します。いくら打たれても、すぐ「次だ、次だ」と元気になる切り替えの早い人で、遠征で宿舎に戻る際には、バスでズボンのベルトを外し、靴下も脱いで、お風呂に一番乗りで入っていました。
この人に言われたのが、「ダンプ、お前、これから長いことやりたいんだったら、毎年、一人いい若いピッチャーをつかまえて教育しろ」です。
要はブルペンで若い投手を育て、受けるなら僕しかいないと洗脳しちゃうことです。成長して一軍でどんどん活躍するようになれば、自然と自分の出番が増えていく可能性もありますからね。
実際、これは二番手にしかできないことでもあります。試合に出ている捕手は打撃練習もあるし、試合出場にも出なきゃいけません。いろいろなピッチャーを観察し、洗脳する時間がありません。開き直りじゃないけど、それが強みになるのではないか、と思うようにしました。
その一人が江……いや、あいつを育てたなんて言ったら「おっさん、そんなことないやろ!」と怒られそうだからやめておきます。実際、僕と出会う前から活躍していましたしね。