ダイエーで初めてクローザーに

ダイエー初優勝時の胴上げ投手になったペドラザ
大阪に本拠地があった南海も、九州へ移転してからのダイエーも
ソフトバンクも、助っ人に投手が目立つホークス。南海にはスターターに
ジョー・スタンカ、近年のソフトバンクでは助っ人“通算セーブ王”の
デニス・サファテがいた。そんな2人にチームへの貢献度で負けていないのがダイエー初、つまり九州で初めての歓喜に貢献した
ロドニー・ペドラザだ。
クラウン(現在の
西武)が去って長い空白があった九州へホークスが移転したのは1989年。心機一転を試みたものの、南海で長く続いた低迷からの復活は容易ではなかった。だが、迎えた99年。ペドラザが入団する。当初はスターターとして期待されていたが、
尾花高夫コーチがクローザーとしての適性を見抜いたことで運命が変わる。メジャーでも経験がなかったクローザーという役割にペドラザは「先発だろうが9回だろうが、どこで投げたって同じ」と適応していった。
ペドラザが抜けた形になったスターター陣は
工藤公康、
若田部健一、
永井智浩の3人が規定投球回に到達し、2ケタ勝利は3人に加えて
星野順治がマーク。工藤は防御率2.38で最優秀防御率となっているが、それ以上に強固な布陣だったのが彼らに続いたセットアッパー陣だ。左腕の
吉田修司とリリーフだけで14勝を挙げた
篠原貴行、右腕で“炎の中継ぎ投手”の異名もあった
藤井将雄。そして、その後ろに控えていたのが右腕のペドラザだった。
過去に右肩の手術を経験していたペドラザに対して、連投のあとには必ず1日の休みを与えるなどの首脳陣の配慮にも応え、ペドラザは最終的に48試合で27セーブ。ダイエーはリーグ優勝、その勢いのまま日本一を飾った。翌2000年もダイエーはパ・リーグを制覇して、ペドラザも自己最多の35セーブを挙げているが、防御率で見ると99年のほうが安定感がある。その後、03年に
巨人で1年だけプレーして帰国した。
21世紀の助っ人クローザーには速球派が多い印象があるが、ペドラザは140キロ台ながら抜群の制球力で丁寧に外角低めを突いていく投球が持ち味だった。通算117セーブは“助っ投”では6位につける。
写真=BBM