プロ野球の歴史をつくった当事者たちが赤裸々に語る『戦後プロ野球史発掘』。知る人ぞ知るシリーズからネタを拾ってみた。 戦闘機で帰郷?
連載第21回は、ともに球史を代表するスラッガー、元
巨人ほかの青田昇、元西鉄ほかの
大下弘、そしてセ・リーグ会長・鈴木龍二、評論家・
大和球士の登場。戦争にまつわる話を抜粋した。
大下 姫路で入ったんです。私は神戸出身ですから姫路に4年おりまして、それから歩兵の学校に行って伍長になって帰った。それから航空隊を志願をして立川の技術研究所に入り、軍曹から現役志願をして埼玉の豊岡の航空士官学校に入り、ずっと内地の勤務です。そして福島県郡山の隠密飛行場で隼の一式戦の練習をやったんです。それから北海道の八雲の戦闘隊に配属され、そこで終戦を迎えた。それで豊岡の士官学校へ逃げて帰っちゃったんです。私たちは飛行機に乗れるから、それに乗って帰ってしまえということで。
大和 自分で操縦しているの。
大下 ええ、これでも操縦士ですよ。2年とちょっと、戦闘機に400時間乗りました。
司会 戦争中、青田さんは。
青田 航空隊です。太刀洗から京都に行きました。京都から加古川です。だから終戦は加古川です。
大和 実際に飛行機に乗ったわけですか。
青田 だいぶ乗りました。隼です。そのころはなんでもいいから……戦争に負けても勝っても、死ぬのは一度やから、一番危ないところへ行ってやろうと思ったのですよ(笑)。
大下 あのころの私たちの気持ちというのは、どうせ歩兵で歩いて死ぬのなら、空を飛んだほうがいいだろうと思ったね。
青田 一番早いですわ。