独特のムードにも冷静
早実は死闘の末に3回戦敗退。主将・宇野[右端]以下、3年生は甲子園でしか経験できない財産を残した。左から3人目は8回途中まで力投した2年生左腕エース・中村[写真=田中慎一郎]
【第106回全国高等学校野球選手権大会】
3回戦 8月17日 第4試合
大社(島根)3x-2早実(西東京)
(延長11回タイブレーク)
2対1とリードして迎えた9回裏、早実の守りである。大社の大応援団が陣取る三塁アルプス席だけでなく、三塁内野席、ネット裏席からも手拍子が起こった。1点を追う大社への大声援。夏の甲子園で毎年見られる、劣勢チームを後押しする独特のムードである。
早実の主将・宇野真仁朗(3年)は覚悟していた。冷静だった。
「正直、このままでは簡単に終わらないだろう。『同点OK』みたいな感じでした」
二ゴロ失策から投前バントが内野安打になり無死一、三塁。ここで投前へのスクイズを決められ、追いつかれた。悪送球も絡んで、無死一、二塁。次打者の犠打で一死二、三塁とサヨナラの大ピンチである。ここで、早実・和泉監督は勝負に出た。左翼手・石原優成(3年)をベンチに下げて、1年生・西村悟志を左翼に入れ、投手と三塁の間に配置した。内野5人シフトである。和泉監督の「スクイズだけはさせない」という執念のさい配だった。打球は西村へのゴロとなり、一塁でアウト。さらに、生還を試みた三塁走者もアウトにして、見事な併殺プレーを完成させたのである(公式記録上は「7-3-2」)。
西村の本職は内野手である。夏の地方大会前から練習では想定していたが、練習試合を含めて、実戦では初めての試みだったという。
「あの打者はこの試合でレフト方向へ打球を打っていたので、ちょっと右側に意識を置いていました。左側に抜けたら(遊撃手の)宇野さんに頼むしかないな、と。プレーに集中しすぎて、状況を完璧に把握はしていなかったですが、大歓声が耳に入って『自分がやったんだ!』と実感。最後は気持ちと気持ちの勝負。負けたくない気持ちは大社さんよりも強かったです」(西村)
2対2のまま決着がつかず、延長10回からタイブレーク。早実は10回表の攻撃は無得点も、その裏のピンチをしのいだ。早実は11回表も無得点。その裏、無死満塁から大社のエース左腕・馬庭優太(3年)にサヨナラ打を浴び、熱戦に終止符が打たれた。
負けていなかった早実の魂
早実・宇野は最後までチームリーダーに徹して「全員野球」の伝統を、後輩たちに伝えた[写真=宮原和也]
試合後、和泉監督は「(主将の)宇野を中心によくやってくれました」と話し「魂がこもったストレートは、ここぞという場面では打たせてもらえなかった。打撃を含めて彼の魂のこもったプレーは素晴らしかった。最善の努力はしたが一歩、足りなかった」と、延長11回、149球完投した大社・馬庭をたたえた。
宇野は言った。
「9回の守り、10回の守りで、チーム力を見せられたのは良かった。早実の気迫、伝統は受け継げた。アルプスの大応援は感動し、自分たちの力になった。最高の応援でした」
早実の魂も負けていなかった。後輩に届いた。1年生・西村は姿勢を正してこう言った。
「冷静に落ち着いてプレーする中で、誰でもミスをしたりすることはある。早実の良さは、全員野球ができるところ。皆でカバーしていこう、と。大きな応援に助けられた、甲子園を感じられたのは、これからの経験になる」
1915年、第1回の地方大会から皆勤出場の大社と、第1回の全国大会出場校・早実による伝統校対決。開場100年の甲子園に、後世に語り継がれる名勝負が刻まれた。2時間40分。勝者と敗者に分かれるのは、あまりに酷だった。延長11回の死闘に、スタンドからは惜しみない拍手が送られた。
早実のベンチ入りは3年生9人。補助員、記録員を含めた3年生の全12人が財産を残した。2年生以下が、新チームへつないでいく。
文=岡本朋祐