今季初先発では6失点KO

今季は3試合の登板に終わった根尾
このまま終われない。今オフに背番号「7」から「30」に変更した
中日・
根尾昂は心機一転、再スタートを切る。
ドラフト1位で入団した当時は球界を代表する遊撃として期待されたが、外野にコンバートされるなど思い描いた成長曲線を描けず、22年のシーズン途中に異例の投手転向。同年は25試合登板で防御率3.41と明るい未来を予感させたが、昨年は2試合登板に終わり、今年も3試合登板で0勝1敗、防御率9.39。シーズンの大半をファームで過ごした。
チームが球団史上初の3年連続最下位に沈む中、チャンスがなかったわけではない。8月4日の
広島戦(マツダ広島)で今季先発したが、3回8安打6失点KO。立ち上がりの乱調がすべてだった。初回に先頭打者・
秋山翔吾に四球を与えると、
野間峻祥に左前打を浴びて無死一、三塁のピンチに。
中村貴浩に投手強襲の適時内野安打を浴びて先制されると、その後も自らの悪送球でピンチが拡大してリズムに乗れない。
小園海斗、
坂倉将吾、
矢野雅哉に適時打を浴びるなど一挙5失点。2回も秋山にソロを被弾して試合を作れなかった。
「投球を見直すしかない」
この登板試合を見た野球評論家の
荒木大輔氏は、根尾の投球について週刊ベースボールで以下のように分析していた。
「プロ初勝利を狙った試合は、しかし、初回からまったく思うようにいきませんでした。先頭の秋山翔吾選手に対して、ストレートの四球。すべて直球でしたが、わずかに外れてボールという球が1球もなく、あきらかにストライクゾーンに入らない球ばかりでした。久しぶりの一軍登板で気負いがあり力んでしまったのでしょうか。それとも登板に対する準備が足らなかったのでしょうか。この4球を見ただけで、『今日は苦しいな』と思ってしまうピッチングでした」
「その後もストライクを取るのがやっと。直球の平均球速も143.0キロで、回転数も感じられず、打者を押し込める球威はありません。抜群の制球力があるわけでもなく、変化球もアバウトですから、打者を打ち取るイメージが湧きませんでした。投球フォームも淡泊に見え、いわゆる野手投げで、間(ま)がない感じです。『1、2~の3』ではなく『1、2、3』でボールを投じているので、打者もタイミングを合わせやすそうに感じました」
「今後に向けて試合の入り方を含めて、自分のピッチングを見直すしかないでしょう。一軍、二軍のレベルの差はあるとはいえ、二軍ではいいピッチングをしていたのですから、それを出せる形にしないといけません。この日のピッチングは打者と勝負する以前の内容でしたから。中日はリリーフ陣がいいので、5、6回まで試合をつくれば勝利は転がり込んできます。それに、2回二死一塁で根尾投手は素晴らしい当たりの適時二塁打を放っていました。元野手の根尾投手には“打撃”という武器もあります。いつの日か、マウンドで根尾投手の笑顔が見ることができるのを楽しみに待っています」
背番号「30」の先輩右腕

躍動感あふれるピッチングで見る者を魅了した郭
根尾については、「先発よりリリーフの方が力を発揮する」という指摘が聞かれる。背番号「30」の先輩として、良きお手本になるのが
郭源治だろう。(※85年まで背番号30を着用)台湾出身の右腕は1981年のシーズン途中に中日へ入団。3年目から4年連続2ケタ勝利を挙げると、86年オフに就任した
星野仙一監督が守護神に指名する。ピンチに燃える性格は抑えで力を発揮できると見抜いていたのだろう。
87年に59試合登板で4勝3敗26セーブ、防御率1.56で最優秀救援投手に輝くと、翌88年も61試合登板で7勝6敗37セーブ、防御率1.95で2年連続タイトルを受賞。44セーブポイントは当時の日本記録だった。リーグ優勝の原動力となりMVPに輝いた。その後に先発に再転向すると、94年に最優秀防御率を獲得。中日で16年間プレーし、来日通算成績496試合登板、106勝106敗116セーブ、防御率3.22の好成績を残した。
躍動感あふれる投球フォームから、威力十分の直球で打者をねじ伏せる。試合後にド派手なガッツポーズを繰り返す姿は、「郭ダンス」と形容された。根尾は同じ背番号30を継承し、偉大な大先輩に近づく活躍を見せられるか。
写真=BBM