ハイライトは昨年11月の明治神宮大会準決勝
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横浜高には新3年生の146キロ左腕・奥村頼[左]と、新2年生の150キロ右腕・織田[右]の両輪を擁する[写真=田中慎一郎]
昨年11月の明治神宮大会で27年ぶり2度目の優勝を遂げた横浜高(神奈川)が、1月5日から2025年の練習をスタートさせている。チームは4日に全部員が集合し、学校内の視聴覚室でミーティングが行われた。1月24日に選抜選考委員会を控えているが、横浜高の6年ぶりの出場は当確。村田浩明監督は1月から3月18日の開幕を逆算し、全19クールにわたるスケジュールを配布。チームの士気を高め、目指すべき方向性を一つに集約させた。
活動拠点の長浜グラウンドの三塁ベンチのホワイトボードには、チーム指針がぎっしりと書き込まれている。2025年のテーマは「自己に打ち克つ者こそ、最も偉大な勝利者となる~我々にとって意味のある闘いに勝つ~」。
その上で、スローガンは「KOSHIEN YOKOHAMA OVER THE TOP」とあり「甲子園 横浜の俺らが1番熱いんだ!!」と付け加えられている。チーム運営は「YOKOHAMA CHALLENGE 横浜に新しい風を吹き込む『変える部分は大きく変える』」とした。そして、チーム目標は「神奈川1強時代へ そして、全国制覇を成し遂げる~一番価値のある勝ちを求めた野球~ 猛攻堅守で全国・関東制覇 神奈川3連覇(秋春夏)」に定めた。そして、すぐそばには村田監督からの「『優勝』を果たす。力戦奮闘~力のある限り戦うこと~」と熱きメッセージが書かれていた。
忘れてはならないのは、強さを求めているだけではないということ。「甲子園優勝への道」を目指す上での心得は「愛される 応援されるチーム」という大前提がある。部員たちはグラウンド内でキビキビと動き、来客者があれば、元気にあいさつ。高校生らしい澄んだ目、清々しい空気が流れていた。不動の一番・中堅である阿部葉太主将(新3年)以下、統率が取れている。まさしく、
阪神甲子園球場のマンモススタンドを味方につけそうな、一体感あるムードが漂っている。
攻守におけるバランスの良さは、全国トップレベル。中でも146キロ左腕エース・奥村頼人(新3年)と150キロ右腕・織田翔希(新2年)の二枚看板が注目を浴びている。
2年春から背番号「1」を着けるサウスポー・奥村頼は「重たい数字です。結果を残さないと、甲子園に連れていかないと、価値のない番号。『1』を着けているから成長できる。勝ち続ける意味もある」と、主戦の自覚を語る。
ハイライトは昨年11月の明治神宮大会準決勝(対東洋大姫路高)だ。先発した奥村頼は5回無失点に抑えると、降板後は左翼の守備へ回った。6回裏からは二番手・織田が4回1失点で9回まで投げ、1対1の10回裏からは、奥村頼が再びマウンドに立った。一死満塁の絶体絶命のピンチで、横浜高は「内野5人シフト」を敷くなどして、この窮地を脱した。横浜高は11回表に2点を勝ち越し、その裏を奥村頼が、無死満塁から後続3人を抑えた。
広島商高との決勝では先発した五番・左翼から、9回途中から織田をリリーフし、1点差で逃げ切り「秋日本一」へと導いた。
「自信になりました」。昨夏までバッテリーを組んだ1学年上の捕手・椎木卿五(立正大進学)がミットの中に刺繍していた「GAME GUTS(勝負根性)」の信念を継ぎ、強気のスタイルを貫いた。1学年下の織田は、明徳義塾高との初戦(2回戦)を2安打完封勝利(2対0)と、全国舞台で確かな手応えを得たが、エース・奥村頼は特別な存在である。「堂々たるメンタル。安心感がある。背番号1? まだ、自分には早い(苦笑)。頼人さんしかいない。尊敬しています」と、舌を巻く。
絶対的エースとしての仕事に集中
奥村頼は滋賀県出身。「野球選手としただけではなく、一番、成長できる環境」と、進学先として、神奈川の名門・横浜高を選んだ。
同郷で、2学年上の
ソフトバンクの左腕・
前田悠伍(大阪桐蔭高)とは、親戚関係にある。「過去には、交流もありました。父と前田投手の父は、伊香高校時代のチームメート。前田投手の母は、父の後輩に当たります」。前田は中学時代、湖北ボーイズでプレーしたが、奥村頼は「同じチームも考えましたが、対戦してみたいと思いました」と、滋賀野洲ボーイズに在籍した。「1年時、春先の練習試合で前田投手と投げ合い、2対1で勝つことができたんです。ずっと、背中を追いかけてきた左投手。負けたくない」と、闘志を燃やす。
右投げ両打ちである奥村頼の父・倫成さんは長く、野洲高の監督を務め、現在は八日市高を指揮している。伊香高、国士舘大を通じて外野手だった。
「父が現役時代にライトを守っていたから、自分の名前も頼人(らいと)にしたと聞いています。生まれつきは左利きだったんですが、『左投げだとポジションが限られる』と、親からすれば捕手、遊撃手をやらせようとする考えがあったそうです。しばらくは右投げを練習したそうですが、野球チームに入って以降はもう、左で投げていました。『頼られる人になってほしい』という由来もあるそうです」
元旦。奥村頼は投手陣のグループLINEに「今年は全員でセンバツを取りに行こう」とメッセージを送信。「勝ちパターンを増やし、メンバーに入った投手陣全体で勝っていきたい」と意欲を示した。後輩の新2年生・織田は兄貴のようにエース・奥村頼を慕う。
「先輩たちを勝たせたい。後輩が勝たすチームというのは、強いですからね。どれだけ支えられるかカギです」。全面バックアップを約束する。もちろん、先輩の意地もある。
「昨秋は織田に頼り切っていました。織田がいれば、(投げている自分を)カバーしてくれる、と。でも、自分がしっかり投げないと、チームが上位に進出することはできない。織田を意識して、球速を追い求めた時期もありましたが、それでは、自分の持ち味を出せない。ストレートは打者の手元での伸びにこだわり、変化球を織り交ぜ、投げること以外の周辺部門も意識し『勝てる投手』になりたい」
先発、抑え、何でもこなせるのが強み。「アタマから行けば、先発完投にこだわり、救援であれば、自分に与えられた役割を果たしたい」。名前のごとく、頼りになる名門・横浜高の絶対的エースとしての仕事に集中していく。昨年8月の新チーム結成以降、村田監督はチーム運営を「章立て」に置き換えてきた。
第1章 神奈川県大会制覇
第2章 関東大会制覇
第3章 明治神宮大会制覇
そして、第4章は「センバツへの道『1月制覇』答えのない世界を勝て~全員野球~」を提示した。長浜グラウンドは寒さを吹き飛ばす、活気あるメニューが展開されていた。
文=岡本朋祐