ベストゲームは“完全継投”

岩瀬氏は西尾東高、愛知大、NTT東海を経て99年ドラフト2位[逆指名]で中日入団。地元で20年プレーした[写真=高原由佳]
かつて中日の守護神として1002試合、407セーブと日本記録を持つ元中日の左腕・
岩瀬仁紀氏が1月16日、競技者表彰(プレーヤー表彰)で野球殿堂入りした。
栄誉の一報が入り、岩瀬氏が最初に連絡したのがコーチ、監督として計13年にわたり指導を受けた
森繁和氏だった。
ゲストスピーカーを務めた森氏は、岩瀬氏との関わりの中で、最も印象に残る試合として2007年、
日本ハムとの日本シリーズ第5戦(ナゴヤドーム)を挙げた。先発・
山井大介から岩瀬へのNPB史上初の継投による「完全試合」(1対0)である。
「もう日本シリーズで、見られることはないと思います。落合(
落合博満、監督)さんと中日に入り、岩瀬をクローザーにすると決めてから引退するまでの13年間やってくれました」
岩瀬氏もベストゲームにこの試合を挙げた。
「今でもゾクッとするぐらい、緊張感があった。日本一を決める試合で、9回を抑えることができて、ホッとした記憶が残っています」
現役時代をこう振り返った。
「20年やってきましたが、良いことも、悪いこともありましたが、結果を振り返ることなく、前だけを見て、進んできました。あっという間の20年。入団時は星野(
星野仙一)監督と山田(
山田久志、コーチ)さんに野球の厳しさを教わり、落合さんと森さんには抑えとして君臨できるような選手に育ててもらった。(捕手の)谷繁(
谷繁元信)さんからは技術、配球をたくさん学ばせてもらいました。前だけを見て日々、過ごしていたと思います。1002試合、407セーブ。現役中に振り返ることはなかったです。ユニフォームを脱いで、初めて、よくこんなにやったなと思いました」
「信頼されて成り立つ場所」

守護神・岩瀬と中日で13年戦ってきた森氏がゲストスピーカーを務めた[写真=高原由佳]
なぜ、前だけを見てきたのか。クローザーという仕事の厳しさが、ここにある。
「クヨクヨしている時間はない。試合は毎日、やってくる。反省するよりも、前を向いていかないといけないことを学んだ」
今回の表彰に際して「大変光栄。光栄である分、身が引き締まる思いです」と語った。あまり自身の功績を前面に出さない岩瀬氏であるが、ここだけは珍しくアピールしてきた。
「あまり表に出ていないんですが、日本シリーズに6回出ていて、防御率0.00なんです。自分の中では誇りに思っております」
守護神とは――。
「首脳陣、選手、ファンから信頼されて成り立つ場所。『誰にも渡さないぞ!!』という思いを心に秘めて、まい進していました」
まさしく、プロフェッショナルの発信力である。愛知県出身で1学年上での
イチロー氏との同時受賞に「運命的なものを感じる。イチローさんは世界が認めている選手なので、大変光栄です」と、喜びを口にした。
文=岡本朋祐