西武球団に所属する3人

1995年に東京六大学で主将を務めた6人が乾杯の音頭を取った。左から慶大・高木、法大・江崎、早大・大森、明大・守谷、東大・間宮、立大・広池[写真=同窓会実行委員会提供]
東京六大学野球連盟は1925年秋に創設され、今年で100年を迎える。1995年には連盟創設70年記念試合(現役大学生対プロ現役)が神宮球場で開催された。あれから30年が経過。神宮の杜を盛り上げた当時、最上級生だった東京六大学のメンバーが一堂に会した。
「平成8年卒 東京六大学野球部・応援団 合同同窓会」が1月19日、東京都内のホテルで開催された。各校の野球部、応援団(部)から卒業生80人が出席した。2つの組織は、リーグ戦運営における「運命共同体」。大学の枠を超え、30年ぶりの再会で旧交を温めた。
1995年の激闘を振り返る。春は法大がリーグ戦を制し、全日本大学選手権で大学日本一を遂げた。秋は明大が天皇杯を手にし、明治神宮大会優勝。連盟創設70年を飾ったのだ。
パーティーの冒頭、乾杯の際には豪華メンバーが顔をそろえた。主将6人が登壇した。
立大の主将・
広池浩司氏(立教高、元
広島、
西武球団本部長)は大学時代、強打の左の外野手だった。卒業後は一般就職も、野球の夢が捨てきれず、プロ入りを果たした苦労人だ。プロでは貴重な左の救援として活躍した。
「六大学というのは、きょうだいみたいな絆があります。仲間意識が深い。こうして今回、6校が一つに連携できるのがすごい」と開催を感謝した。今年、新3年生となる156キロ右腕、息子の広池浩成さんは慶大で通算2勝を挙げている。
慶大の主将・
高木大成氏(桐蔭学園高)は強打の捕手として、西武で10年プレー。現役引退後はプリンスホテルに勤務し、現在は西武の球団へ出向している。「広池がチームの編成トップで、その下には(法大の主将である)江崎がいる。ライオンズは勝たないといけない」と、主将3人での共闘を誓った。
法大の主将・江崎亘氏(鳥栖高)は巧打の外野手として、95年の日本一に貢献。日米大学選手権でも主将を務めた。卒業後はプリンスホテルでプレーし、現在は球団編成に携わる。「自分たちの代の主将は西武グループに4人。そのうち球団に3人いるのは奇跡的なことです。出会いを大事にしていきたいと思います」
青春の30年前にタイムスリップ

1995年に4年生だった野球部、応援団[部]の約80人が参加。最後は各校の応援歌で締められた[写真=同窓会実行委員会提供]
早大の主将・大森篤氏(天理高)は左の強打者で、1年春の首位打者(44打数22安打、打率.500)を獲得した。1年生首位打者は昨秋、法大・熊谷陸(花巻東高)が大森氏以来、32年ぶりの栄冠。入学直後の春のシーズンであるから、いかに偉業であるか分かる。卒業後はプリンスホテルでプレーし、同社に勤務している。
「30年ぶりに再会する人もいる。今日をきっかけにまた、交流ができればと思います」
東大の主将・間宮敦氏(横浜翠嵐高)は4年春、打率.419で東大史上7人目の首位打者を獲得した右バッターだった。東大で以降、同タイトルを獲得した選手はいない。「たまたまですよ」と謙そんしながらも、ミートに優れた巧打者だった。「皆さんで、西武を応援していきましょう!!」と呼びかけ「幹事の方々はこの日のために、大変な準備だったと思います。ありがとうございます」と話した。
明大の主将・守谷武士(国士舘高)は4年秋、二塁手部門でベストナイン受賞。抜群のキャプテンシーで「人間力野球」の象徴だった。大学卒業後はJR東日本でプレーした。
「六大学っていいな、と改めて思いました。また、30年後、こういった会を開ければいいと思います」と、会場内の笑いを誘った。守谷氏の息子・治樹さん(明大中野高)は現在、明大野球部の新2年生マネジャーであり、父からの「明治魂」を継いで活動している。
同窓会の最後は6校の応援団(部)による、パフォーマンスが繰り広げられた。神宮球場でお馴染みの応援歌を披露。ネタ満載のマイクパフォーマンスも一つの見どころであり、リーダー担当者の出身校がアナウンスされると「名門!!」とお約束の
コールもあり、30年前の熱狂がよみがえるシーンであった。
この日のために、約1年前から準備を進めた。実行委員会の中心として動いた慶大の主務・川口幸一郎氏(慶應義塾高)は言った。
「1学年上の代がこうした同窓会を開いたと聞き『私たちの代も、やろう!!』ということになったのが、開催の経緯です。今年はちょうど、連盟創設100年の節目。私たちは卒業して30年。野球部、応援団(部)の協力もあって、すべてを円滑に進めることができました。神宮球場でともに同じ時間を過ごしたメンバーがこうして集まることができ、改めて東京六大学の結束、パワーを感じました」
出席した80人は、まさしく青春の30年前にタイムスリップ。約2時間、無事、盛会のうちに終了した。明日以降の活力とし、名残惜しそうに会場を後にした。
文=岡本朋祐