オープン戦の爆発が仇に?
考え過ぎは禁物だ。「
鈴木一朗」は
オリックスで「イチロー」の登録名で飛躍して、やがて「世界のイチロー」と呼ばれるようになったが、この登録名の変更に考え過ぎの形跡はない。助っ人では、1985年から2年連続で三冠王となった
阪神の
ランディ・バースが、「BASS」の読みは「バス」に近いが不調のときに「阪神バス故障」とかの揶揄を嫌って「バース」としたという。親会社の経営に差し支えかねない深刻な事情ながら、いたってシンプルであり、やはり考え過ぎたようには思えない。熟考が最善の結果をもたらすとは限らないということだろう。
逆に、考え過ぎた、言い換えれば、ひねってしまったために、ファンの期待も過剰になり、それ故に期待はずれのように見えてしまうこともある。南海、現在の
ソフトバンクに、フランク・オーテンジオという助っ人がいた。米国カリフォルニア州の出身。彼の登録名は、「王天上」だった。なぜか。入団は1979年のこと。春のキャンプから好調で、オープン戦でも特大の本塁打を量産した。当時、本塁打で世界の頂点に立ち、多くのファンを沸かせていたのが
巨人の
王貞治。まさに「世界の王」といわれ、世界に誇るプロ野球の至宝だった。「王天上」には「王の上を行ってほしい」という球団の願いが込められていたという。
意気込みはいい。考えが深かったのか浅かったのかは今となっては分からない。もしかすると考え過ぎたわけでもないのかもしれない。ただ、彼は登録名とともに「王と比べられる」宿命も背負ってしまったように思える。そして、この異色の登録名でプロ野球の歴史に名を刻んだ。
オーテンジオ改め王天上は、ペナントレースが開幕すると精彩を欠く。いや、少なくとも王貞治のようには打たなかった。最終的に113試合の出場で打率.248。それでも23本塁打は放っている。もちろん「世界の王」は遠かった。翌80年は36試合、7本塁打でシーズン途中に退団。通算30本塁打だった。ちなみに、その80年に30本塁打を放った王は、「王貞治のバッティングができなくなった」とオフにバットを置いている。
写真=BBM