パフォーマンスでも人気
セ・リーグで外国人選手が初めてMVPに輝いたのは1957年、ハワイ出身の日系人で、「プロ野球に革命を起こした」と言われる
巨人の
与那嶺要。1957年のことだった。リーグ優勝も多い巨人には、それに比例してMVPを受賞する選手は多いが、昭和では与那嶺が最後となる。
だが、平成のセ・リーグMVP第1号は巨人の助っ人だった。平成元年、つまり89年のウォーレン・クロマティ。ちなみに、この89年はパ・リーグでも近鉄の
ラルフ・ブライアントが選ばれており、ブライアントについて詳しくは後日に譲るが、両リーグともに助っ人がMVPに選ばれるのはプロ野球で初めてのことであり、また両リーグとも平成のMVP第1号は助っ人だったということになる。
この89年はクロマティにとって来日6年目。1年目から独特のクラウチングスタイルからの強打で話題を呼び、賛否両論を巻き起こした派手なパフォーマンスでも人気を博した。88年は死球禍で離脱して不本意なシーズンとなり、その雪辱を期して、いや背水の陣で臨んだのが89年。クロマティはシーズン限りでの現役引退を宣言し、「プロ野球で誰も達成したことがない打率4割を目指したい」と目標も設定、そして有言実行を果たす。プロ野球で初めてシーズン規定打席に到達した時点で打率.401。そのまま欠場していたらプロ野球で初めてシーズン打率4割の打者が誕生していたが、出場を続けたクロマティは打率こそ下げたもののリーグ優勝の立役者に。巨人はブライアントを擁する近鉄を日本シリーズで破って日本一にもなり、クロマティは90年までプレーを続けて退団している。
時は流れて21世紀、2008年のMVPが来日8年目、
ヤクルトから移籍してきて1年目の
アレックス・ラミレスだ。陽気なパフォーマンスで人気を博した好漢だが、125打点でヤクルト時代から2年連続となる打点王、翌09年は打率.322で首位打者に輝いて、これで2年連続MVP。外国人選手として初めての快挙だった。ラミレスは
DeNAで移籍2年目の13年に外国人選手で初めて通算2000安打を達成するなど、その後も長く活躍を続けた。
写真=BBM