緩急自在のピッチング

現役ドラフトで阪神に移籍して3年間で32勝を積み上げた大竹
環境が変わり、素質が開花する。「現役ドラフトの最高傑作」の一人であることは間違いない。阪神に移籍後の3シーズンで通算32勝をマークしている
大竹耕太郎だ。
昨年は16試合登板で9勝4敗、防御率2.85をマーク。下肢の故障で開幕を二軍で迎えたが、5月に一軍復帰すると先発ローテーションで稼働した。3年連続2ケタ勝利にあと一歩届かなかったが、育成出身の選手で史上初の12球団勝利を達成。リーグ制覇の原動力になった。
150キロを超える直球を武器に力で抑え込む投手が増えている中で、球が速くなくても抑える術を知っている。直球は常時130キロ台後半だが、チェンジアップ、カットボール、スライダー、ツーシーム、カーブと多彩な変化球を抜群の制球で操り、緩急やクイックを駆使して打者を翻弄する。大舞台でも自分らしさを失わない。古巣・
ソフトバンクと対戦した日本シリーズ第5戦(甲子園)。初回二死で三番・
柳町達の2球目に68キロの超スローボールを投げて球場がざわめいた。マウンド上の左腕は表情一つ変えず、5球目の140キロ直球で見逃し三振を奪った。4回二死でも柳町に79キロの超スローボールを投げると、2球連続で投じた69キロの遅球で浅い中飛に仕留めた。試合は延長戦の末に敗れたが、6回3安打無失点の完ぺきな投球を見せた。
「十分通用するという判断」
育成ドラフト4位で入団したソフトバンクで1年目から支配下昇格し、11試合登板で3勝、2年目は17試合登板で5勝を挙げたが、その後はシーズンの大半をファームで過ごす時期が続いた。野球人生の転機は22年オフ。「第1回現役ドラフト」で阪神に移籍が決まった。当時の
岡田彰布前監督は、週刊ベースボールのコラムで以下のように振り返っている。
「阪神の監督に復帰することが決まり、ドラフト会議に参加したあとに行われたのが現役ドラフトやった。リストアップされたメンバー表を見ながら球団と検討するのだが、なにせ初めての試みやったから戸惑いもあったわな。それで阪神が指名したのがソフトバンクの大竹(大竹耕太郎)やった。あくまで球団の判断、決断であるが、監督の意見も反映される。このとき、オレは大竹を推したな。早稲田の後輩というのは関係ないよ。彼の投球ビデオとか見て、セ・リーグに合うのでは……と感じたからやった。うまさのあるピッチングやったし、コントロールの良さを生かせば、十分通用するという判断やった」
向上心旺盛なサウスポー
移籍1年目に21試合登板で12勝2敗、防御率2.26とキャリアハイの成績でリーグ優勝に貢献すると、翌年も24試合登板で11勝7敗、防御率2.80をマーク。昨年もV奪回に大きく貢献した。阪神の先発陣は12球団屈指のハイレベルな陣容だが、大竹はその中心にいる。
向上心旺盛な左腕は、昨年新たな取り組みに着手していた。週刊ベースボールのインタビューで以下のように語っていた。
「メンタルについて聞くことができる人が増え、相談できる人も多くなりました。瞑想を取り入れるなどいろいろ試しました。その中で変わったのは、打たれたときの考え方でした。敗戦降板しても試合の中でよかったことを10個書き出すようにしました。それをやり始めたのは5月からですかね、これはやってよかったですね。結果が悪いと、悪いことばかりに目が行ってしまって、それで頭がいっぱいになって次の登板のときに、その悪いイメージが頭の中に出てきて、その状況のままで投げてしまうこともあり、また同じような形で打たれてしまうという悪循環が起きていました。試行錯誤の中、自分の性格を加味した上で、悪い登板の中でも、良い点を見つけることをやるようにしていました」
新たな発見があったかについて聞かれると、「これが意外にもたくさん見つけられました。これまでは、自分に負けが付いたから、という理由を付けた上で、ここが良くなかったということにとらわれてしまっていたんです。でも、その逆で、良い部分を探すと10個くらい出てきたんですね。しっかりと試合を見返して、良いところを挙げていき、そして反省点も自分の中できちんと理解していく、という作業をやりました。それにより次の登板になったときに、変な尾を引かなくなりました。それと同時に、良くなかったときに、自分がどうあるべきかを考え、その部分も大事にしていました」と明かしている。
実績を積み重ね、今年は投手タイトルの獲得も期待される。技巧派左腕のさらなる進化が楽しみだ。
写真=BBM