近鉄、オリックス、ヤクルトでプレーして、現在は野球評論家として活躍する坂口智隆さん。現役時代には「ケガに強い」「弱音を吐かない」武骨でストイックなイメージがありましたが、「本質は違います」とご本人。「こんな地味なプレーヤーの自分でも、20年プロ野球の世界で生きていけた」理由、考え方とは。6月に刊行された初の自著『逃げてもええねん――弱くて強い男の哲学』(ベースボール・マガジン社刊)より抜粋しご紹介します。今回は、年齢に関係なく進化する方法について。 「ヤクルトの坂口」として認められるために

ヤクルト移籍3年目の18年に躍進した坂口。ファウルの技術をつかんだことも要因だった
オリックスを退団し、ヤクルトに移籍したときが31歳でした。オリックスで最後の年は36試合出場にとどまるなど、レギュラーを失ったあとは納得いく成績が残せていないシーズンが続いていました。
自分の人生を見つめ直して、新しい環境でもう一度やり直すことを決断したとき、救いの手を差し伸べてくれたのがヤクルトでした。でも、外野のレギュラーが保証されていたわけではありません。何年も続けて活躍して「ヤクルトの坂口」として認められるためには、進化する必要があると感じていました。
そこで変えたのが打撃のスタイルでした。オリックスのときは、仕掛けが早い打者だったと思います。2ストライクと追い込まれたら粘りますが、それよりも早いカウントで仕掛けて積極的に打ちにいったほうが出塁できるという考え方でした。
ただ、ヤクルトに移籍してチームへの貢献度を考えたときに、そのままでいいのか。好球必打でファーストストライクを打つという自分の原点は変わりませんが、2ストライクと追い込まれてもファウルでカットできる技術に磨きをかければ、相手投手に球数を投げさせることができるし、出塁率も上げられる。
川端慎吾を手本にファウルの技術を磨く
お手本となったのが、
川端慎吾選手です。慎吾は首位打者を獲得した経験もある巧打者で、ミート能力に長けてバットにボールを当てる技術がすごい。2ストライクと追い込まれても際どい球をファウルでカットして、四球や安打で出塁する。球数を費やされた相手バッテリーはダメージが大きいし、チームを助けられます。
僕はオリックスのときには、ファウルで粘るのが得意でないし、あまり好きではありませんでした。けれど、ヤクルトで求められている役割を考えたときに、粘ることにフォーカスしなければいけないと考えました。
微調整したのは、タイミングのとり方です。以前はカットした打球が三塁側のファウルゾーンに飛ぶのが常でした。ただ、タイミングをとるのが遅れると、速い球を三塁側にカットするのは難しい。
そこで、2ストライクと追い込まれたら、以前より早めの始動でタイミングをとって、直球は三塁側、変化球は泳ぐかたちで一塁側にカットするようになりました。一般的に打撃は「泳ぐな」といわれますが、カットするファウルゾーンを広げたことで追い込まれても粘れるようになったのです。
もちろん、三振するときもありますが、一塁側にファウルを打つ技術を身につけたことで、打席に心理的な余裕が生まれるようになりました。
早めにタイミングをとって、変化球は一塁側にファウルで逃げる技術は、川端慎吾先生もやっているので間違いないです(笑)。
年齢に関係なく成長できる
すぐに習得できる打ち方ではないですが、徐々にコツをつかむようになると、カットするだけでなく、あるポイントに入ったら安打も打てるようになった。
ヤクルトに移籍3年目の18年に打率.317をマークし、出塁率は.406とプロ野球人生で初めて4割を超えました。この年は一塁にコンバートされたので、「打たないと使ってもらえない」という危機感があったのですが、ファウルで粘る技術をつかんだことも大きな要因だったと思います。
人間は年齢に関係なく成長できるんやと実感しました。もしも、「オリックスの全盛期のときの活躍を取り戻そう」という考えだったら、ヤクルトで結果を残せなかったでしょう。
過去の自分に戻るのではなく、ヤクルトの坂口で輝くために新たな取り組みにチャレンジしたことで、チャンスをつかめたと思います。
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