プロ野球春季キャンプが終盤を迎えた。2リーグ分立後では球団初となる連覇、3年ぶり日本一を目指す阪神タイガースの大黒柱・大山悠輔の脳裏には、9年前、プロ1年目のキャンプでの思い出がよみがえるという。明るい笑顔をくれた横田慎太郎さんのことだ。2023年夏に天国に旅立った横田さんとの秘話を、発売後に即重版となるなど反響を呼んでいる、大山初の自著『常に前へ』(ベースボール・マガジン社刊)より、抜粋、編集してご紹介しよう。 
大山悠輔の著書『常に前へ』©阪神タイガース
よみがえるのは2017年キャンプの出来事
ほかのチームメートと同じように、僕にとっても1歳下のヨコこと横田慎太郎は大切な後輩です。一緒に野球をできたのは本当に短くて、僕がプロ1年目だった2017年2月の沖縄・宜野座キャンプの途中まで。横田はこのキャンプで、のちに脳腫瘍と判明する頭痛に悩まされ、第2クール最終日を終えたところで帰阪を余儀なくされました。だから、一緒にグラウンドに立てたのは実質10日間ほど。それでも独身寮の「虎風荘」で二人の自室が同じ階にあったこともあって、横田が現役を引退するまで仲良くさせてもらいました。
横田との思い出で真っ先に脳裏によみがえってくる光景は、2017年キャンプ中のワンシーンになります。
プロ1年目のルーキーだった僕は当時、毎日が緊張の連続でした。一緒に練習する先輩方がレジェンドばかりだったことにも圧倒されたのでしょう。メジャーリーグでも活躍した
福留孝介さん、この年に通算2000安打を達成する
鳥谷敬さん、「超人」と呼ばれる
糸井嘉男さんにスピードスターの
西岡剛さん……。そうそうたるメンバーとの練習が続いて、疲労と気疲れで食欲を失っていたとき、僕の食の細さを笑いに変えてくれたのが、ほかならぬ横田でした。
みんなを笑わせてくれて、僕のあだ名は「G」になった
ある日の食事会場、当時高卒4年目だった横田は僕の食べる量を観察して、「大山さん、全然食べてないじゃないですか! パワプロだったら『食欲G』ですね!」と大声で突っ込んでくれたのです。
「パワプロ」とは人気ゲーム「パワ
フルプロ野球」の略称。選手は投手であればコントロールやスタミナ、野手であればパワー、ミート力などの能力が最上級の「S」から順にランク付けされていくのですが、つまり「G」とは最下級の評価。あの時、苦しんでいる姿をいじってくれたことで、僕がどれだけ救われたか……。横田がみんなを笑わせてくれたおかげで、その日以来、チームメートはしばらく僕のことを「G」とあだ名で呼んでくれるようになりました。
今思えば、横田はプロ1年目で気後れしている僕の姿を心配して、なんとかチームメートに溶け込ませようと考えてくれたのかもしれません。
優しくてお茶目で、強い人
横田は脳腫瘍と診断されてからも決してへこたれませんでした。僕自身、彼が復帰に向けて地道に努力している姿をずっと見続けてきました。リハビリ中は寮のフロアで何度となくすれ違ったのですが、いつも「大山さん!」と声をかけてくれて、こちらが気を使うのが失礼になるぐらいに明るくて……。
彼は本当に人気者でした。優しくてお茶目で、知らないうちに横田の周りに人が集まってくるような性格でした。そして、強い人でした。そんな男だったから、現役引退後もいつか病に打ち勝って奇跡を起こしてくれるのではないかと願っていました。それだけに2023年夏、28歳の若さで天国に旅立ったと聞かされた時はショックで仕方ありませんでした。
ヘルメットを夜空に掲げて伝えた「ありがとう」
亡くなってから1週間が過ぎた2023年7月25日、タイガースは甲子園での
巨人戦の試合前に横田の追悼セレモニーを実施しました。その直後の追悼試合、僕は1点を追う6回一死一塁、
菅野智之投手(2025年シーズン終了時・オリオールズ)から逆転決勝2ランを左翼席に運びました。ダイヤモンドを回って、仲間とのハイタッチを終えたあと、ヘルメットを夜空に掲げました。天国の横田に「ありがとう」と伝えたかったのです。
横田が亡くなってからもう2年半が経過しました。ただ、僕たちタイガースナインにとって、横田の存在は今も大きなままです。自分は今でも現役のプロ野球選手としてプレーさせてもらっていますが、元気に野球をできることは決して当たり前ではない。そう教えてくれたのが横田でした。彼の顔を思い出すたび、一日一日、一球一球を大事にしないといけないと身が引き締まります。
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