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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「殺るか殺られるか──監督と選手の絆の証」

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日本一を勝ち取って、ファンとチーム、選手と監督の絆を証明した1998年の横浜ベイスターズ[写真=BBM]


手渡されたボール 記されたメッセージ


 今年のベイスターズの日本一は1998年以来のことだった。三浦大輔監督が横浜スタジアムで胴上げされる姿を眺めていたら、ふと26年前のことが蘇(よみがえ)ってきた。あのときに宙を舞っていたのは、当時の監督・権藤博だったのだが、日本一を決めたのは今回と同じ、横浜スタジアムでの第6戦だった。そのときにベイスターズに敗れたライオンズの松井稼頭央が、こんな話をしていたことがある。

「日本シリーズで印象に残っているのは、やっぱりベイスターズの応援じゃないですか。横浜スタジアムのスタンドって、ものすごく急で山のようにそびえ立っていて、グラウンドを包み込む感じがするんです。だから声援もすごく籠もるというか、めちゃくちゃ響くし、僕らのところに迫ってくるんですよね。ベイスターズの選手とファンが一体化して、本当にすごいなと思いました。相手の攻撃のときには、こっちの声がまったく聞こえなくなって……あんな経験、初めてでした」

 26年前の第6戦、横浜スタジアムに詰めかけた観衆は2万9289人だった。今年の第6戦の観衆は3万3136人……横浜スタジアムの改修によって観客が増えた分、26年前よりもさらに凄まじい迫力を伴ったベイスターズ好きの大歓声が、ホークスの選手たちに襲いかかっていたのだろう。26年前も今年も、ベイスターズの日本一を後押ししたのは横浜の街の力だったのかもしれない。

 思えば98年、ベイスターズの監督に就任したのが権藤だった。つまり、権藤は監督1年目にベイスターズを日本一に導いたのだ。「監督」と呼ばれることを嫌がり、選手たちに「権藤さん」と呼ばせた侠気あふれる指揮官は、その呼び名を選手やチーム関係者だけでなく取材陣にも徹底させた。そして監督1年目の開幕前、“権藤さん”は、そのシーズン、初めてベイスターズの開幕ベンチに入ることになった2人のピッチャー(阿波野秀幸横山道哉)を監督室に呼んで、こう言っている。

「これ、持っとけ」

 2人に手渡されたのはボールだった。そのボールには、マジックペンでこう書かれていた・・・

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石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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