週刊ベースボールONLINE

石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「悠久山にて想いを馳せる“野茂対鈴木”の駆け引き」

 

1993年6月12日、悠久山野球場で行われた近鉄対オリックス戦で、プロ2年目の鈴木一朗野茂英雄から初本塁打を放った。初対戦で三振を喫したイチローは「追い込まれたらウイニングショットを待つようになった」という[写真=BBM]


1993年の西本聖を追い掛けて


 1993年は西本聖の取材をしていた。1980年代、巨人で一時代を築いた名投手である。その西本は中日を自由契約となった1992年のオフ、オリックスと契約する。当時、プロ19年目の西本は現役でもっとも長いキャリアのピッチャーだった。

 松山商高からドラフト外でプロ入りした西本は、江川卓と巨人のエースの座を争うところまで上り詰めた。6年連続で2ケタ勝利を挙げ、沢村賞も獲得している。中日に移籍した1989年には20勝投手となって、古巣を見返した。常に反骨の精神とともにプロの世界で戦って結果を残した西本は“不死鳥”と呼ばれた。そんな西本が、36歳になってなお初めてのパ・リーグで投げ続けようと思ったのはなぜなのか……そこに興味を持った。だから1993年は西本を追い掛けていた。

 その答えは、今となっては「西本には野球人生でやり残したことがあったから」だったと分かる。歩けなくなるかもしれないリスクを負ってまで椎間板ヘルニアの手術を受けたのは1991年。野球人生の恩師である長嶋茂雄が巨人の監督に復帰したのは1992年のオフ。人生を懸けた手術を受けてまで投げ続けようとしたのは、いつの日か巨人で勝って、もう一度、長嶋監督と握手をしたかったからなのかもしれない。

 実際、西本は1994年にテストを受けて巨人へ復帰。公式戦の登板は叶わなかったものの・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング