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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「大エース2人の根っこにあった西本幸雄という存在」

 

山田久志[写真]は阪急で、鈴木啓示は近鉄で、ともに西本幸雄監督に鍛えられエースとして成長した[写真=BBM]


開幕戦で一度も投げ合わなかった理由


 開幕投手はエースの証――昭和のプロ野球ではその価値観が当たり前だった。記録を紐解くと、もっとも開幕投手を多く務めたのは金田正一と鈴木啓示の14度。連続して開幕投手を務めたのは山田久志の12年連続(1975~86年)、開幕戦の最多勝利は鈴木啓示の9勝。近鉄バファローズで通算317勝を挙げた鈴木と阪急ブレーブスで通算284勝をマークした山田は、同時代のパ・リーグを支えたエース同士だ。

 しかしこの2人、なぜか開幕戦で一度も投げ合っていない。鈴木は1967年から8年続けて開幕投手を務め、引退する1985年まで14度も開幕戦のマウンドに立っているのだが、山田が12年連続で開幕投手を務めた1975年以降、4度あった阪急と近鉄との開幕戦に鈴木は先発していない。これほど同じ時代に何度も開幕投手を務めていた鈴木と山田が、まるで開幕戦での激突を避けるかのようにすれ違っていたのはなぜだったのか……2人は言った。

「(阪急から近鉄へ来た)西本(幸雄)監督にもうひとつ信用されてなかったんやろうね。事実、阪急戦ではめちゃめちゃ打たれた。(ダリル・)スペンサーが私のクセをバリバリ見抜いていたという話や。阪急戦だけは通用せんかったから、阪急と開幕で当たるとなると私やなかったんや」(鈴木)

「確かに啓ちゃん(鈴木)と投げ合った記憶、ないもんね。啓ちゃん、阪急にはあまり強くなかったからなのかな。でも啓ちゃんには彼の哲学があって、先発して最後まで投げ切って、それで近鉄を勝たせるのがオレの役割だというこだわりを最後まで貫いた。リリーフなんてオレの野球人生にはあり得ないという人だった。オレは逆。先発して完投して、次の日もベンチに入ってリリーフで投げた。もちろん開幕投手にはこだわっていたけど、エースはそれだけじゃないと思っていた。それは西本さんの教えがあったからだよ」

 そう、鈴木と山田の根っこにあったのは西本幸雄という野球人の存在だった。弱かった阪急を強くして、低迷が続く近鉄も優勝させた。日本一に届かなかったことから“悲運の名将”と呼ばれる球史に残る名監督だ。

 山田は言う。

「近鉄と戦うときって・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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