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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「日本球界に革命起こした伝説の野球未経験コーチ」

 

1964年の東京オリンピックにも出場した陸上選手の鈴木が川上監督に懇願されて65年に巨人入団。日本球界初のトレーニングコーチを迎え、長嶋茂雄[左]らは走る練習に積極的に取り組んだ[写真=BBM]


“1111”の筆者が嫉妬した“111111”の持ち主


 1111回――四半世紀、綴り続けているこのコラムも、こんな回数に辿り着いた。500回、1000回……それぞれに感慨はあったものの、この“1111”という数字には個人的に格別な思い入れがある。いや、そんな大袈裟なものじゃなく、生まれたのが昭和39年11月11日だから、というのがその理由だ。

 11月11日に生まれたからと、子どもの頃から父に「11はラッキーナンバーだぞ」と聞かされて育った。銭湯に行けばロッカーは11番を探し、新幹線はこだまの自由席だった11号車に必ず乗った。街でナンバーが1111の車を見つければ「今日はいいことがある」と歓喜するのは今も変わらない。そんなふうに“1111”を意識しながら生きてきたベースボールライターがテレビを観てビックリしたのは、昨年の今頃のことだった。

 何気なく観ていた『開運! なんでも鑑定団』(テレビ東京)に、ジャイアンツがV9を成し遂げた日本シリーズのウイニングボールがお宝として鑑定を依頼されていたのである。1973年11月1日、後楽園球場で行われた巨人と南海の日本シリーズ第5戦。巨人が3勝1敗と王手をかけて迎えた9回表二死、堀内恒夫がトップバッターの島野育夫にポップフライを打たせた。センターの柴田勲の守備範囲かと思いきや、レフトの高田繁がサーッと出てきてボールをキャッチ。これが・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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