週刊ベースボールONLINE

石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「10代で試練を課せられた野球人の心の強さ」

 

春夏とも甲子園中止となった20年8月に行われた交流試合[智弁学園高戦]で力投する中京大中京高時代の高橋宏斗。コロナ禍に翻弄されながらも球児たちは前を向いた[写真=BBM]


コロナ禍で甲子園を奪われた世代


 プロ野球のど真ん中に、2002年度に生まれた選手たちが増えてきた。今春のWBCに選ばれたドラゴンズの高橋宏斗と金丸夢斗、4月に結果を出しているベイスターズの度会隆輝、開幕四番に座ったカープの佐々木泰。その佐々木と青学大でチームメートだったマリーンズの西川史礁は昨年の新人王を獲得した。ケガで今シーズンは開幕から出遅れたもののプロ1年目の昨年、ベストナインに選ばれたイーグルスの宗山塁も同じ2002年度に生まれている。そんな彼らは高校3年生のとき、“コロナ禍”で甲子園を奪われた世代である。そのことについて西川は当時をこう振り返った。

「高校時代(龍谷大平安高)は、夏の甲子園に出るためにキツい思いをして冬の練習をやってきたのに、その甲子園が中止になって、目指す場所がなくなった現実を受け止められませんでした。でも独自で夏の京都大会を開催してくれて、優勝できた。最後までやりきる力はあのときについたと思っています。そう考えるとあの経験もプラスだったと思います」

 中京大中京高の高橋宏斗が全国にその名を知らしめたのは高2の秋。秋の愛知大会から明治神宮大会まで、150キロ台のストレートを武器に8試合に先発し8完投、5完封で優勝したからだった。しかしコロナ禍、センバツが中止となり、夏の甲子園も中止。それでも甲子園につながらない独自大会、甲子園で1試合だけ行われた交流試合で全勝し、28連勝で高3の1年間を終えている。高橋はこう話した。

「もちろん、コロナに翻弄されたという気持ちはあります。でも高3の1年間、投げていくうちにスピードが人よりも出るという才能が自分の中にはあることを感じて、それが僕の一番の武器になると思いました。そういう意味ではあの1年に救われたという気持ちもありますね。今の僕が大事にしている言葉は『常に明るく』。結果が出ても出なくても次の日まで持ち込まない。チームメートは僕を見てると思うので、明るく、やるべきことをやろうと心掛けるようになったのは、あの1年があったからだと思っています」

 横浜高で高1の春からベンチ入りを果たした度会は、プロ野球選手だった父、博文さんに憧れて子どものころからプロ野球選手になることを夢だと語ってきた。

「だから最後の夏の甲子園がなくなったのはショックでしたし、ドラフトで指名されなかったときも落ち込みました。でも、僕という人間の人生は一度きりです。悩んだり落ち込んだりする時間なんてもったいないじゃないですか。悔しい思いをすることはありますけど、自分ではすぐに切り替えられると思っています。自分を鼓舞して、プラス思考。マインドセットは常に明るく楽しく、です」

 広陵高で高1の夏、高2の春と続けて甲子園に出場した宗山は、最後の夏を奪われたことに対して、意外な想いを口にしている。

「高校最後の夏に甲子園を目指すことができていれば、自分を含めて大学、社会人、あるいはプロで野球をする選手はもっとステップアップできた可能性はあったと思います。甲子園というのはそういう舞台だと思いますし、もっと上のレベルに上がるチャンスを奪われた選手は必ずいたはずです。ただ僕は、そういう中でも高校で野球を引退してしまったたくさんの選手のことを思ってほしいんです。彼らが3年の夏に甲子園を本気で目指すことができていれば、野球を続ける道が開かれたかもしれない……本気で自分をぶつける3年の夏というのはすごく大切な舞台だと思いますし、最後に自分の本気をぶつけるところがなくなってしまったということを、もっと感じてほしいと思います」

野球が当たり前にある春だからこそ馳せる想い


 最後にもうひとり、2002年度の生まれではないが、コロナ禍をプラスに転じた彼の言葉に耳を傾けてみよう。WBCに選ばれたバファローズの曽谷龍平は2000年生まれで、コロナ禍の2020年は大学2年だった。

「白鴎大は自主練習が多いと聞いていたので、自分のやりたいことができると思って選びました。やらされる練習では意味がないことをそれまでの経験から感じていましたから……でも大学1年のときにその環境に逆に甘えてしまって、野球に対して真剣に向き合うことができなくなっていたんです。そんな自分を変えてくれたのが、大学2年のコロナ禍でのリーグ戦中止でした。全体練習が完全にストップして、自主練習をするしかない期間が3カ月あったんですが、そのとき、自分に火がついたんです。このままじゃ終わってしまうと、ウエート・トレーニングと食事を増やして身体づくりに励みました。そうしたら自信もついて、自分の世界に入り込めるようになりました。どんどん攻めるピッチングになって、スピードも150キロを超えて……コロナで試合がなくなったあの時間があったからこそ、僕は成長できたと思っています」

 新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年から6年。あまりにも非日常だったあの日々は、ややもすれば記憶から薄れつつある。それでも野球が失われた6年前、何かを失った野球人はたくさんいた。同時にプロでトップを目指す選手たちが、あの苦境をどんなふうにプラスに転じたのか――今年も野球が当たり前にある春を迎えられたからこそ、そういうことにも想いを馳せるべきだと考え、彼らの言葉を綴ってみた。

 10代で試練を課せられ、今、20代半ばになる野球人の心の強さをかみ締めてほしいと思う。

PROFILE
いしだ・ゆうた●ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。
石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング