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イラスト=イワヰマサタカ
大阪タイガースが戦後、初の優勝を飾ったのは1947年。監督はハワイ出身で投手兼任の
若林忠志だった。この年、若林はエースとして自らも26勝を挙げ、新人の
梶岡忠義(22勝)と、ベテランの
御園生崇男(18勝)との3人で、アメリカ式の投手ローテーションを確立する。そしてこれに加えさらに強力だったのが「ダイナマイト打線」と呼ばれた打撃陣だ。
呉昌征、
藤村富美男、
本堂保次、
土井垣武らが並ぶ破壊力抜群の打線は、ダントツの502得点を挙げ、2位に12.5ゲーム差をつけて優勝を果たした。
しかしこの時点では「ダイナマイト打線」そのものは未完成だった・・・
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