第1回となった1965年のドラフト1位で巨人に入団した筆者[右]。左は3位指名の江藤省三、真ん中は正力亨オーナー
人生は「一期一会」の出会いのドラマが、運命を大きく左右する。特に俺の場合は、甲府商高の監督を務めていた菅沼八十八郎さんとの出会いがなければ、いまの自分は存在しなかったと思う。
俺に甲府商高へ進学することを熱心に勧めてくれた菅沼さんは、プロ入団時のドラフトでも、巨人へ入団させるためにさまざまな策を講じている。
1965年11月17日に行われるプロ野球史上初のドラフト会議で、
木樽正明(銚子商高)、
森安敏明(関西高)、
鈴木啓示(育英高)とともに、俺は高校球界を代表するピッチャーとして注目されていた。しかし、巨人は早くから、その年の夏の甲子園大会準優勝投手だった木樽を1位指名することを決めていた。ところが、菅沼さんが「待った!」をかけたのである。
菅沼さんは・・・
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