完全燃焼し、あるいは志半ばでユニフォームを脱ぐことを決意した選手たちがいる。2022年シーズン限りで現役を引退した選手たちの「ラストメッセージ」をお届けする。 写真=BBM 【パ・リーグ編】はこちら 福留孝介[中日/外野手/45歳] 幸せな24年間

9月23日、バンテリンドームでの引退セレモニーでファンにあいさつ。最後に涙を流した福留孝介
日米5球団で躍動 常に向上心を持って野球に取り組んんできた。今季は45歳で球界最年長選手だった福留孝介が、ついにユニフォームを脱いだ。1999年に逆指名で
中日に入団し、その後はメジャーも経験、日本復帰は
阪神で8年過ごしたが、最後は古巣の中日で24年に及ぶ現役生活を終えた。日米通算2450安打、327本塁打の成績はもちろん、それ以上に大きな存在感を誇る打者だった。
「十分やり切りました。多くの選手が自分はまだやれると思いながら引退していくと思いますけど、僕はもうすべてやり切ったので」
立浪和義(現中日監督)にあこがれて進学したPL学園高(大阪)時代は超高校級スラッガーとして有名だった。ドラフトでは7球団が1位指名。交渉権を獲得した近鉄への入団を拒否し、社会人の日本生命へ進んだ。3年後に中日に入団。数年はプロの壁に苦しんだが、4年目の2002年に外野手に専念して首位打者を獲得すると、リーグを代表する選手への階段を駆け上がっていった。06年は2度目の首位打者でリーグ優勝に貢献してMVP。08年は海を渡ってメジャーへ挑戦。決して満足のいく成績とは言えなかったが、大きな経験となった。
阪神時代は「甲子園という日本一のグラウンドで8年間、熱狂的なファンの声援の中でプレーできたのは一生の宝物」と振り返る。その阪神を戦力外となって再び中日に戻って来た。背番号は以前の「1」から「9」となったが、勝負強さは健在。それでも気力、体力の衰えは隠せず、22年シーズンが最後となった。
9月23日の引退試合&セレモニー(
巨人戦/バンテリン)は盛大だった。9回表の守備から慣れ親しんだ右翼のポジションに就くと、地元ファンから大きな拍手を浴びた。その裏の最終打席で二飛に打ち取られ、ベンチ前で立浪監督に抱きしめられると涙腺が崩壊。24年間の思い出が一気に押し寄せてきた。試合後のスピーチでは「僕は本当に幸せ者です」と言葉に力を込めた。
WBCの韓国戦でのホームランも印象深い(2006年、準決勝で7回に代打で先制2ラン)。日本国民が熱狂した一打でもあった。自慢できるような数字は「ない」と言うが・・・
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