完全燃焼し、あるいは志半ばでユニフォームを脱ぐことを決意した選手たちがいる。2022年シーズン限りで現役を引退した選手たちの「ラストメッセージ」をお届けする。 写真=BBM 【セ・リーグ編】はこちら 内海哲也[西武/投手40歳] 誰からも慕われたサウスポー

最大の理解者である家族からの労いを受け、現役生活に別れを告げた
負の感情を排除して 誰からも慕われた左腕だった。2018年オフ、
西武から
巨人へFA移籍した炭谷銀仁朗(現
楽天)の人的補償で西武へ移籍した
内海哲也。当時36歳だった。現役生活は晩年を迎え、新天地では二軍が主戦場に。しかし、内海が野球に取り組む姿勢は変わらなかった。朝早くから球場に来て準備を重ねる。「若い選手にとって、すごく勉強になる選手」と
渡辺久信GMも称賛を惜しまず、引退会見で手紙を朗読した一番弟子の渡邊勇太朗は「プロ野球人生をスタートした瞬間に、内海さんに出会えていろんなことを教えてもらった4年間が自分の人生において一番の財産です」と感謝し、涙を流した。
内海は言う。
「ジャイアンツにいたら、一軍でやっていたプライドもありましたし、ファームにいると情けないという負の感情ばかりだったと思います。だけど、ライオンズでは新たな内海哲也としてスタートしていたので、ファームだとしても負の感情はまったくありませんでした」
敦賀気比高3年時の2000年ドラフトで
オリックスから1位指名。しかし、祖父・五十雄氏もユニフォームを着た巨人でプレーすることを夢見て、東京ガスへ。3年後に自由獲得枠で巨人から指名され念願がかなった。しかし、なかなか一軍で結果が出ない。自信を失いかけたとき、
堀内恒夫監督から「お前は必ず成功する。通算200勝以上勝った俺が言うんだから間違いない」と言葉を掛けられて前を向いた。
高橋一三(かずみ)二軍監督にチェンジアップを教わったことも大きな転機になった。投球の幅が広がり、3年目の06年に12勝をマーク。翌年、最多奪三振を獲得し、11、12年には最多勝を奪取。巨人のエースに駆け上がり、優勝に何度も貢献するピッチングを見せた。
巨人を支えていた自負もあり、西武への移籍は「正直ショックでした」と振り返ったが、気持ちはすぐに切り替わった。
「とにかく、ライオンズのために僕ができることは何かという気持ちでずっとやっていましたね」
マウンドに立つことはなくなったが・・・
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