完全燃焼し、あるいは志半ばでユニフォームを脱ぐことを決意した選手たちがいる。2023年シーズン限りで現役を引退した主な選手たちの「ラストメッセージ」をお届けしよう。 写真=BBM 【前編】はこちら 木村文紀[日本ハム/外野手/35歳] 意外性の打撃と強肩の守備
投手から外野手に転向し、西武時代は連覇の一員にもなった
「自信を持ってバンバン投げていましたが、今思えばクソガキだった」と苦笑する。2007年、高校生ドラフト1巡目で西武に入団したのは投手として、だった。力強い直球が評価され、渡された背番号は黄金時代の右腕エース・
渡辺久信(現GM)が着けていた「41」。期待の大きさの表れだったが、頭を使わずに能力だけで勝負するスタイルには限界があった。11年にプロ初勝利を挙げるも翌12年9月に外野手にコンバート。「『このままでは終わるな』と自分で思っていたので、野手転向の話を球団からもらってありがたかった」。6年目に再スタートを切った。
同年秋季練習から死に物狂いで練習。1日1700スイングをノルマにバットを振り込み、
河田雄祐コーチ(現
ヤクルトコーチ)の外野ノックを吐きながら受けた。目標は同じく投手から外野手に転向した
糸井嘉男(元
日本ハムほか)。努力が実を結び、2018、19年の連覇時には強力な“山賊打線”の一員になった。主に八、九番を任されたが、意外性のある打撃、強肩を生かした守備はファンを大いに魅了した。
21年途中に日本ハムへ移籍。出番に恵まれなかったが、懸命に白球を追う姿は変わらなかった。9月20日、引退試合は古巣・西武戦(ベルーナ)。試合前に“真剣勝負”をお願いしていた
渡邉勇太朗から4回の現役最終打席で見事に左翼線へ二塁打。試合後、両軍ナインの手によって胴上げ。引退後は西武の「育成担当兼人財開発担当」として再出発しているが、プロで投打を務めた得難い経験を後輩に伝えていく。
【経歴】 西武07[1]-日本ハム21途
【通算成績】 711試合、326安打、42本塁打、154打点、53盗塁、打率.213。
荒木貴裕[ヤクルト/内野手/36歳] 野球は9人ではできない
ヤクルト一筋14年で通算685試合に出場し、うち476試合が途中出場。球団新人では40年ぶりの開幕スタメン(七番・遊撃)で幕を開けたプロ野球人生は、代打に代走、守備固めを任される『何でも屋』に。4年目からは外野守備にも挑戦し、内外野7つのポジションを守った。
大事にしてきた言葉がある。「野球は9人ではできない」。常にベンチで誰かが準備をしているからこそ、試合が円滑に進んでいく。展開を読み、来たる時に備えてベンチ裏で準備を進める毎日。陽の当らない役割だが、腐ることなくチームの勝利のためだけにプレーした。そんな男は2021年、日本シリーズで一塁手として途中出場し、日本一が決まるウイニングボールをつかんでみせた。
翌22年からは若手の台頭にも押され出場機会を減らすと、今季は一軍昇格がないまま迎えた9月22日に現役引退を表明した。30日の引退試合(対
DeNA、神宮)も代打での途中出場。最終打席はとらえた当たりも左飛に終わり、「実力や運があるならヒットにもなっているでしょうし、やめるべくしてやめたのかな」と現実を受け止めた。
誰もがレギュラーとして活躍する姿を思い描き、プロの門をたたく。だが、逸材たちが競い合う世界。思いどおりにならない選手が大半であり、荒木自身もその一人だった。それでも・・・
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