堅守巧打に俊足を併せ持ち、バイプレーヤーとして存在感を示せば、2020年中盤から『守備固め』『代走』と起用法が明確になっていく。そんな役割を全うできたのは、目指す場所が明確だったから。ドラフト指名までの道のり、そして入団後の葛藤──。現役引退を表明する選手が今年も多くいた中で、オリックスを支えた背番号50の決断の理由に、プロの世界の厳しさがにじむ。 取材・構成=鶴田成秀 写真=松村真行、BBM 現役10年+“1年”はともに失意のスタート
爽やかに、優しい表情で語るも、言葉には思いの強さがにじむ。ゆっくりと思い返しながら振り返る“プロ10年+1年”は、さまざまな思いが交錯した濃密な時間だった。 ──引退して迎えるオフは「新鮮」と言っていましたが、寂しさも?
小田 今のところ寂しさはないですよ(笑)。また違う日々なんですよ。(育成)コーチに就かせていただくので、秋も舞洲での練習を違った感じで過ごしていました。自分が動くのではなく、選手を見るという違った目線でグラウンドに立っているのが本当に新鮮でした。
──寂しさがないのは、現役に“後悔なし”を表すものでしょうか。
小田 う~ん、後悔がないとは言い切れないですね。やっぱり後悔することばっかりでしたから。満足していないわけじゃなくて……むしろ満足はしているんです。でも、後悔をしていないかと聞かれると、後悔はないと言い切れないというか。
──後悔はあるけど、未練はないという感じでしょうか。
小田 そうですね。それがしっくりきます。はい。未練はないです。
──その後悔は現役生活を振り返る中でお聞きできれば。ただ、そのスタートは“入団1年前”のドラフトでの指名漏れとも言えるのでは。
小田 うん。正直、あの(指名漏れした)当時はプロをあきらめましたから。大学を卒業して、社会人での2年間は、そこ(プロ入り)に重きを置いて、より意識していたので。その2年を終えて指名されず、気持ちが一端、切れたんです。社会人野球も引退して、野球自体をやめようかなって。それくらい、あのときは気持ちが切れてしまったんです。
──当時の日本生命から
小林誠司選手(
巨人1位)をはじめ、複数人が指名されたことも追い打ちに?
小田 それもありましたよね。もちろん、チームのためにやっていましたけど、同時に小林(誠司)、吉原(
吉原正平・
ロッテ4位)、井上(
井上晴哉・ロッテ5位)とは一緒にプロを目指していて。そのメンバーは名前が呼ばれる中、自分だけ名前が呼ばれず……。そういうのもありましたよね。
──気持ちを立ち直らせたのは。
小田 やっぱり一緒にやってきた人たちへの思い。個人としてはプロを目指してやっていたけど、日本生命で一緒に練習をして、プレーをしていた先輩も後輩もいて。それにチームとしても勝っていたわけではなかったので。だから・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン