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2024プロ野球総決算号

<惜別球人 2024 SELECTION>戦い続けた男の生き様【セ・リーグ編】

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自らの働き場を得るため、そしてチームの勝利のために──。身を粉にして戦い続けた男たちが、今年もまた続々とユニフォームを脱いだ。結果がすべてのプロの世界。奮闘した男たちの姿は、生き様を映し出す。
【注】11月30日時点。成績はNPB通算
【パ・リーグ編】はこちら

ヤクルト・青木宣親 再会の楽しさを残して


青木宣親[ヤクルト/外野手/42歳]


「自分さえ信じていれば大概のことはかなう」

 積み重ねた安打は日米通算2730本。燕のヒットメーカー・青木宣親は強いハートで道を切り開き、野球史に名を残す大選手となった。

「自分さえ信じていれば、大概のことはかなうと思っているので」

 2年目の2005年に202安打を放ち、NPB2人目のシーズン200安打を達成。一気にスターダムにのし上がった。以降もヒットを量産し、06、09年は日の丸を背負いWBC連覇に貢献。10年からミスタースワローズの象徴である背番号『1』を着用し、同年にNPB唯一のシーズン2度目の200安打の偉業を打ち立てた。

 12年から海を渡りメジャー・リーグへ。6シーズンで7球団に所属。14年にワールド・シリーズの舞台を経験、17年は日米通算2000安打と濃密な時間を過ごした。18年にヤクルトへ復帰すると、21年に悲願のリーグ優勝&日本一の歓喜を味わい涙した。

 21年目のシーズンを迎えた今季の開幕戦はスタメン落ち。打撃の調子は一向に上がらなかった。8月5日に登録抹消されると、9月13日に『青木引退』の文字が駆け巡る。「自分の思っているパフォーマンスをファンに見せることができない」と区切りをつける決断を下した。

 それでも、引退発表以降は14打数7安打、打率.500。10月2日の引退試合(対広島、神宮)で2安打を放ち、有終の美を飾った。

「また会いましょう」のメッセージで締めた引退セレモニーでのスピーチ。別れの寂しさとともに、再会の楽しさを残して、背番号23はグラウンドを去った。

PROFILE
あおき・のりちか●1982年1月5日生まれ。宮崎県出身。175cm80kg。右投左打。日向高-早大-ヤクルト04[4]-ブリュワーズ12-ロイヤルズ14-ジャイアンツ15-マリナーズ16-アストロズ17-ブルージェイズ17途-メッツ17途-ヤクルト18=日21年、米6年。

NPB通算成績
1724試合、打率.313、1956安打、145本塁打、667打点、177盗塁

主なタイトル
新人王(2005)
首位打者・3回(2005、07、10年)盗塁王・1回(2006)
最高出塁率・2回(2007、09年)
最多安打・2回(2005、06年)
ベストナイン7回(2005~11年)

巨人・梶谷隆幸 惚れた相手と添い遂げる


「惚れたものに理由はない。野球に出合えて幸せだった」

 古傷の左膝は限界に達していた。「とにかく体がついていかなかった」。阿部慎之助監督に引退の決断を伝えた際は、「『限界か、カジ』と。(自分の)心中を察してくれて、愛情を感じた」と指揮官とのやり取りを明かした。2007年に高校生ドラフト3巡目で横浜(DeNA)に入団。13年に77試合ながら打率.346とブレークすると・・・

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