自らの働き場を得るため、そしてチームの勝利のために──。身を粉にして戦い続けた男たちが、今年もまた続々とユニフォームを脱いだ。結果がすべてのプロの世界。奮闘した男たちの姿は、生き様を映し出す。 【注】11月30日時点。※は育成、成績はNPB通算 【セ・リーグ編】はこちら ソフトバンク・和田毅 貫いた投手としてのプライド
「振り返っても悔いのない、やり残したことのない野球人生」 レジェンドは去り際も美しい。周囲は来季への期待感も高めていただけに、左腕の下した決断には驚きの声が上がった。しかし、それは決して突然ではなく……。心に秘めてきた思いは、11月5日に行われた引退会見の席で明かされた。
2003年に前身のダイエーに入団。その後、11年オフに海を渡り、16年に古巣復帰してからも第一線で走り続けてきた。21年には自身、入団時から目標に掲げていた『40歳』の節目に到達。だが、度重なるケガにも悩まされる中で、見え始めていたプロ野球選手としての“終わり”。それとともに「選手ではない立場でホークス、そして野球界に貢献する、勉強する時間に充てたい比率が高まってきて、その比率が完全に上回ったが今年」だったのだという。
だが、7月過ぎには決めていた引退の事実を、最後まで隠し通した。そこに投手・和田毅のプライドがにじむ。「『和田さんのために日本一になろう』とかいう空気だけには絶対したくなかった。優勝したのは紛れもなくチーム全員の力ですし、ファンの声援あっての優勝。その中で私情を挟みたくなかった」。引退試合も固辞。「引退試合となると、どうしても野手の方が三振してくれたり。真剣勝負を22年間やってきて、奪ってきたアウトの中にその1つを入れたくなかった」。戦う男としてプロ野球人生を全うした。
だからこそ、断言する。「振り返っても悔いのない、やり残したことのない野球人生だと、自分では思っています」。43歳、現役最後の『松坂世代』、現役最後の『ダイエー選手』は、静かにユニフォームを脱ぐ。そして、誇りを胸に晴れやかに、新たなステージに進んでいく。
PROFILE わだ・つよし●1981年2月21日生まれ。島根県出身。179cm81kg。左投左打。[甲]浜田高-早大-ダイエー・ソフトバンク03自-オリオールズ12-カブス14-ソフトバンク16=日18年、米4年。
NPB通算成績 334試合、防御率3.18、160勝89敗3H0S、2099回2/3、1901奪三振
主なタイトル 新人王(2003年)
MVP・1回(2010年)
最多勝・2回(2010、16年)
勝率第一位・1回(2016年)
ベストナイン・1回(2010年)
オリックス・T-岡田 待っている人がいる
「これが一番、自分がやりたいことなんだって」 期待が膨らむ。2010年に33本塁打でタイトルを獲得。“浪速の轟砲”の愛称が付き、ファンは一発を待ち続けた。だが、「若くして獲って“しまった”のでね。目指して獲りにいく大変さは、また違うもの」と重圧がのしかかる。期待を背に戦い、キャリアを重ねるとチームを背負う立場となるも、Bクラスが続き、自身も低調なシーズンが続いて結果を残せない。主力選手の世代交代も進み、「半々とかじゃない。だいぶ傾いていた」と、19年オフにFA移籍も決断しかけた。そんな心に響いたのは、やはりファンの大声援だった。
19年9月29日。ファーム暮らしが続く中、履正社高の先輩でもある
岸田護の引退試合に出場すべく一軍へ。打席に立つと、割れんばかりの大声援が注がれる。
「あれで分かったんです。ホンマにやりたいことが。待ってくれている人がいる。だから・・・
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