昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。本音たっぷりの柏原純一さん編の最終回は、日本ハム時代の優勝の思い出、そして3球団目の阪神で引退したお話を伺いました。 文=落合修一 柏原純一
「江夏さんみたいな選手、今はいないだろうね」
──
前回からの続きです。1981年に
江夏豊さんが
広島から日本ハムにトレードされ、南海時代以来のチームメートになったときはどう思いましたか。
柏原 答えにくい質問だけど、「うわー」と思った。
──南海の最後は
野村克也さんに付いていきたいと一緒に退団を希望したのに、仲が良いわけではなかったのですね。
柏原 仲が良いとか悪いではなく、あの人はほかの選手と顔を合わせないから。キャンプでも、ウオーミングアップのときはずっとマッサージを受け、キャッチボールになったら初めてチームに参加して、それが終わったらまたマッサージを受けて終了。そんなだよ。シーズン中の遠征でも、ホテルから球場に行くバスに最後に乗るのは普通は監督なのに、江夏さんは監督より5分くらい遅れて来る。球場でも、顔を見ない。試合が始まって6回くらいまでずっと寝ているかマッサージ。今はそんな選手、いないだろうねえ。
──あらためて、81年の日本ハムのリーグ優勝の思い出は。
柏原 後期優勝して、
ロッテとのプレーオフ第1戦は
村田兆治さんが先発だったんだけど・・・
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