昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。日本ハムファイターズで本当に「ファイター」だった島田誠さんの2回目は、プロ入りしてからの下積み時代のお話です。 文=落合修一 
島田誠
外野スタンドで球拾いの日々
──ドラフト外で日本ハムに入団したお話の続きです。
島田 1977年の1月に新人入団発表があって、そこで初めて会った二軍監督の
福田昌久さんから、「お前は何しに来たんだ?」と聞かれたんですよ。「野球をしに来ました」と答えたところ、「それなら1年だけ野球をさせてあげるから、その間に次の仕事を探しておけ」と言うのです。
──厳しい。
島田 合同自主トレが始まり、視察していた一軍の
大沢啓二監督が「あの小さい奴にフリーバッティングをさせてみろ」と言い、福田さんが投手役になって打ったんですよ。大沢さんが福田さんに「どうだ?」と聞いたら、「使えません」。目の前が真っ暗になりましたね。
──そうなりますよね。
島田 初日の練習が終わったところで新人選手が全員自己紹介をすることになり、私の番が来てその場で宙返り、いわゆるバック宙をしたんです。そしたら大沢さんが「お前、面白い奴だな」と気に入ってくれ、それ以降は呼ばれるたびにとんぼ返りをしていました。それを見た福田さんが「そんなにとんぼ返りが好きなら、荷物をまとめて故郷の九州にとんぼ返りしろ」。
──うまいことを言う。
島田 2月から徳島・鳴門の春季キャンプです。私は当然、二軍スタート。打撃練習が始まったときに「おい、島田、外野席で球拾いしろ」と福田さんに言われました。
──外野のグラウンドではなく?
島田 スタンドです。その状態で・・・
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