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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

島田誠(日本ハムほか)インタビュー<3>福本の連続盗塁王が途切れても、タイトル獲得できず「大石大二郎が出てきたから……」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ファイターズで本当に「ファイター」だった島田誠さんの最終回は、日本ハムがリーグ優勝した1981年からダイエーで引退するまでのお話です。
文=落合修一

島田誠


首位打者、盗塁王、どちらも獲れず


──日本ハムで主力選手になった島田さんは、1981年にはリーグ優勝を経験しました。

島田 その前年の80年に初めて打率3割(.306)を打ったら自信が生まれ、翌81年はどんな投手でも打てる気になりました。川上哲治さん(巨人)は「ボールが止まって見える」と言ったそうですが、その言葉がウソじゃないという域にまで行き、前期の65試合で94安打。打率トップ(.353)で首位打者になれそうだったのですが後期が開幕すると打てなくなりました。明らかに調子が落ちたのです。

──何があったのですか。

島田 内角の厳しいところを攻められるようになりました。私は打席で体を開いて構えるようになり、外角のボールを打てなくなって、打率がどんどん落ちていきました。

──盗塁もトップだったんですよね。

島田 (前年まで11年連続盗塁王だった)阪急の福本(福本豊)さんをリードしていて、「今年は島田にやられるかな」という福本さんの談話が新聞に載っていたんですよ。しかし、8月20日の阪急戦(後楽園)で私が41個目の盗塁を決めたらベースに左足首を引っ掛け、骨折。20日間ほど休んだら福本さんに抜かれました。打率も途中から規定打席に到達した落合博満選手(ロッテ)がトップになって(打率.326)、私は2位(.318)。首位打者も盗塁王も狙っていたのですが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉は本当だったんですね。

──落合選手は初の打撃タイトルでそれから何度もタイトルを獲得しましたが、島田さんは結局、無冠。

島田 あの年を逃したらもう無理でした。チャンスだったのですが。

──福本さんの連続盗塁王は82年までで途切れましたから、そちらのほうのチャンスはあったのでは。

島田 それが・・・

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