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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

鈴木孝政(元中日)インタビュー<2>星野仙一のことを知らなかったが「かわいがっていただきました」

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昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。中日ドラゴンズのエースだった鈴木孝政さんの2回目は、千葉の成東高から中日入りして2年目のシーズンまでのお話です。
文=落合修一

鈴木孝政


名古屋でホームシックに


──明大の島岡吉郎監督が成東高を自ら訪ねて勧誘された鈴木さんはセレクションを受けてトップ合格だったのに中日へ入団。中日球団と明大の関係は悪くならなかったのですか。

鈴木 それは中日のスカウトの仕事です。どう処理したのか、俺は聞いていません。名物スカウトの田村和夫さんが、何とかしたんでしょうね。

──1973年に入団した中日はどうでしたか。

鈴木 あの時代に千葉の田舎から名古屋へ、というのは外国へ行くようなもので、1週間でホームシックになり、夜になると布団の中で泣いていました。当時の寮は名古屋市中村区向島町にあった古い建物で、同期入団の田野倉利男と6畳一間の2人部屋。俺は田野倉よりも入寮が遅かったから田野倉が窓側で、俺は入口寄り。寝ると枕元に掃除用のホウキとハタキがあって汚いの。中日には知っている選手が少なかったです。分かったのは(72年に)20勝した稲葉光雄さん、2年上で甲子園に出た三沢淳さんくらい。高木守道さんのことも星野仙一さんのことも知りませんでした。

──明大出身で島岡御大の秘蔵っ子である星野さんからは「なぜ明大に行かなかったんだ」と言われませんでしたか。

鈴木 浜松で春季キャンプがあって、キャッチボールとかの2人1組でやる練習の相手が、なぜか星野さんだったんです。普通なら新人は新人と組むのに。星野さんには聞いていませんが、おそらく島岡さんから「こういうのが行くから、面倒みてやれ」と言われていたんじゃないですかね。そうじゃなきゃ、エースが高校生と組まないですよ。星野さんからはかわいがっていただきました。

──野球の面では、プロについていけそうでしたか。

鈴木 ドライチの自信なんて自主トレの時点で消えました。ほかの選手を見たときにね。とんでもないところに来たと。毎日知らないおっさんに囲まれて、本当に嫌でした。

──実際のところ、投球が劣っていたのですか。

鈴木 いや、ブルペンでは最初から飛ばしたので、一番速かったと思います。だって、今と違って当時は・・・

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