昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。1982年のセ・リーグMVP捕手・中尾孝義さん(元中日ほか)の最終回は、巨人に移籍して以降のお話を伺いました。 文=落合修一 
中尾孝義
斎藤雅樹を一流に育てる
──1989年に中日から巨人へトレードで移籍しました。
中尾 その前の88年、捕手ではなく外野を守りました。なぜかというと、その前年の浜松での
ヤクルト戦(87年8月27日)で
鈴木孝政さんが先発し、3回までノーヒットに抑えていたのに、ベンチで某コーチに「次の回から変化球主体の配球に切り替えろ」と言われ、そのとおりにしたらチェンジアップを
荒井幸雄に打たれ、本塁打にされたのです。しかし、ベンチに戻ったらそのコーチに「真っすぐが走っているのに、なんで変化球なんだよ!」とみんなに聞こえる大きな声で言われました。僕はキレて
星野仙一監督に「あの人がコーチだったら僕は捕手をできません」と直訴し、次の年は外野に回りました。若手捕手の
中村武志も育っていましたからね。
──外野を守った88年は95試合出場で打率.262、7本塁打。チームはリーグ優勝しました。
中尾 ずっと捕手だったから、全然野球が面白くないんです。いつもボールを触っていたのが、外野手は打球が来ないと暇。1試合で2、3回しかボールが来ないときもあります。打つだけじゃないですか。優勝したのはうれしかったのですが、その年の秋、ベテラン選手は長野県の昼神温泉で静養していたんですよ。オーバーホールというやつです。夜、ホテルで食事をしていたら、当時は携帯電話もありませんから、フロントの人がやってきて「中尾さん、電話です。星野さんからです」と大きい声で言うんですよ。周囲に新聞記者もたくさんいて、「トレード決まったぞ」「どこですか」「巨人や。西本(
西本聖)と交換や」みたいな会話を聞かれましたね。
──中尾さんはトレードを志願していたのですか。
中尾 そうではないです。でもシーズン中から「中尾、トレードか」みたいな憶測記事が新聞に載っていて、ある程度の覚悟はありました。当時はトレードに出されるのはネガティブな感覚があったのですが、星野さんから「巨人に行ったら、捕手に戻れるぞ」と言われ、それなら行ってもいいかなと(笑)。
──その時点の巨人の捕手事情は正捕手だった
山倉和博捕手に衰えが見え始め、ベテランの
有田修三捕手と併用されている感じでしたよね。
中尾 山倉は同じ学年なんですけどね。キャンプで
藤田元司監督と
中村稔投手コーチに最初に言われたのは、「お前を獲得したのは、
斎藤雅樹をどうにかしてほしいからなんだ。あいつはインコースに投げられないから」ということ。当時の斎藤は内角へのボールが甘くなるのを怖がって、外角中心の投球だったんです。だから僕は斎藤に・・・
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