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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

佐野慈紀(元近鉄ほか)インタビュー<2>頭髪の寂しさは大学時代から「そういう家系なので」

 

昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。近鉄ほかで中継ぎ投手として活躍した佐野慈紀さんの2回目は、プロ生活をスタートさせた若手時代のお話を中心に伺いました。
文=落合修一

佐野慈紀


シュートが得意と思われていた


──近大工学部から1991年に近鉄へ入団。最初はどういう印象でしたか。

佐野 「10.19」(88年)のダブルヘッダーの中継を、大学生のときにテレビで見たのです。試合のあとの、選手の皆さんの悔しがる姿。金村(金村義明)さんなんて、骨折して試合に出られなかったのに涙を流していました。それを見たときに「プロ野球選手でもこんなに熱く戦っているんだ」と感動し、自分もこういうチームで野球をやれたらいいなと思っていたのです。その夢が、まさか実現するとは……。2年前にテレビで見た選手たちと同じユニフォームを着るなんて、最高じゃないですか。しかも、僕の前の年に野茂(野茂英雄)が入って、大活躍していたし。

──ご自身はプロで活躍する自信はあったのですか。

佐野 ないですよ。テレビで見ていたすごい選手たちと分かっていたので、「何とか3年間、ガムシャラに頑張って1試合でも一軍で投げられればいい」という思いでした。春季キャンプが始まって初めてブルペンに入ったときに、当時まだ名前も知らないようなピッチャーを見てびっくりしたのです。

──誰ですか。

佐野 入来(入来智)さんと赤堀(赤堀元之)。2人ともまだそんなに試合に出ていない時期でしたが、投球を見て「とんでもないところに来たな」と圧倒されました。「無名の人たちでもこんなにすごいのに、有名な人たちはどんなボールを投げるんや」って。でも、野茂はなかなかブルペンで投球を見せてくれない。ようやく遠投を見たら、地を這うようなボールを投げるんですよ。遠投で、ですよ。「なんじゃ、こいつら」と。生半可な気持ちでは投げられん。こんな世界で自分は1年でクビになるかもしれんと思いましたね。

──自分自身のレベルを近づけるために、どういうところを頑張ろうと思いましたか。

佐野 強がるしかなかったです。自分はできるんだと思うこと。で、とにかくアピールして、自分の存在を首脳陣に分かってもらう。どんな場面でも、チャンスだと思ったら結果を残す。ひたすら、それだけです。

──技術的には。

佐野 特別に球が速かったわけではなかった僕が唯一・・・

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