野村克也監督のヤクルト初の公式戦でもあった
プロ野球においてホームランのビデオ判定が導入されたのは2010年から。それによりホームランが取り消され、またファウルがホームランに変更されるケースが相次いだ。
ビデオという客観的な機械の目で正しい判定が下されるのは、まずよしとすべきことだろう。しかし、それまでは一度下った判定が覆ることはほぼなく、「疑惑のホームラン」にまつわる悲喜こもごものドラマがあった。
その代表例と言えるのが、1990年4月7日、東京ドームで行われた
巨人対ヤクルトの開幕戦である。ヤクルトの先発は内藤尚行。4年目の若手右腕で、前年はチームトップの12勝を挙げていた。雄叫びを上げながら投げる姿から「ギャオス」と呼ばれた内藤は気合満点の投球を披露し、7回まで巨人打線を1点に抑える好投を見せた。打線も3点を取って内藤を援護。栄えある開幕戦完投勝利を目指して8回のマウンドに上がった内藤は、一死二塁で打席にここまで無安打の
篠塚利夫(現篠塚和典)を迎えた。
その初球だった。内角に入った変化球を、篠塚は態勢を崩しながらもライト方向に運んだ。伸びる打球はポール付近を通過。難しい判断の打球になった。判定は……一塁塁審の大里晴信が腕を回した。ホームランの
ジャッジだった。内藤は思わずマウンドの前で崩れ落ちた。
ライトを守る柳田浩一は・・・
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