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四番打者とエースを交換した「世紀のトレード」は世間をあっと驚かせた。左から山内一弘、野田誠三阪神オーナー、永田雅一大毎オーナー、小山正明
仕掛け人は永田雅一オーナー
1963年12月26日、大毎(現
ロッテ)と阪神の間で成立した交換トレードの記者会見が、梅田の阪神電鉄本社にて行われた。
それは前代未聞の光景だった。トレード当事者である2人の選手が会見の席に並んで座っているのだ。普通のトレードではまずあり得ない。そう、このトレードは「普通」ではなかった。大毎から阪神に移る山内一弘(当時31歳)は首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回、60年にはMVPを獲得したチームの四番であり、逆に阪神から大毎に移る小山正明(当時29歳)は20勝以上4回、この時点で通算176勝を挙げていたエースだった。それぞれセ・パを代表する選手である。当時、トレードと言えば力が落ちた選手の放出を意図するものが多かった。だからこそキャリアの絶頂期にある主力同士を交換するというこのトレードは世間の度肝を抜き、マスコミはこれを「世紀のトレード」と呼んだ。その仕掛け人となったのが、会見にも同席し満面の笑みを浮かべる大毎オーナー・永田雅一であった。
山内、
榎本喜八、
田宮謙次郎といった強打者を擁し「ミサイル打線」と呼ばれた圧倒的打力で60年にリーグ優勝を果たした大毎だったが、翌年以降は3年連続Bクラスと低迷が続いた。その要因の一つは・・・
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