
東急田園都市線は「東急玉川線」という路面電車だった。現在の池尻大橋駅と三軒茶屋駅の間の三宿交差点のあたりに三宿駅があり、その近くでスタルヒンは命を落とした
猛スピードの車が路面電車に突っ込む
1957年1月12日、午後10時38分。東京・世田谷区の三宿駅前に停車していた路面電車の後方に、1台の自家用車が猛スピードで突っ込んだ。けたたましい轟音が周囲に響く。大破した車には全身血まみれの白人男性が乗っていた。ただちに救急車で病院に運ばれたが、その途中で男は絶命した。彼の名はヴィクトル・スタルヒン。プロ野球通算303勝を記録した大投手である。引退から1年と少し、40歳の若さだった。
泥酔運転とスピードの出し過ぎによる事故死。それが警察の発表だった。だがそう判断するにはいくつかの不審な点があった。スタルヒンはこの日旭川中(現北海道旭川東高)の同窓会に出席する予定だったが、会場の東中野とは別方向での事故であったこと。途中で一緒に同窓会に向かう友人たちをわざわざ車から降ろしていたこと。アル
コールを飲んでいたのは事実だが、ごく少量であったこと──。
革命が起きたロシアから、ある一家が日本に亡命してきた。一家はやがて北海道の旭川でミルクホールを開く。その店のパンを8歳のウィジャーは同年代の少年に売って歩いた。足は自然と
大勢の少年が集まる場所に向いた。ウィジャーことスタルヒンは、そこで野球に出合った。
その魅力に取りつかれたスタルヒンは・・・
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