
1943年に撮影された写真。ユニフォームは漢字の「巨」となり、戦闘帽をかぶっている。左から巨人・須田博、呉昌征、白石敏男。言うまでもなく須田とは、スタルヒンが一時的に改めた名前
米国から来た野球は「敵性スポーツ」
外国由来のスポーツには、競技名がそのままの言葉で日本に取り入れられているものが多い。サッカー、ラグビー、バスケットボール、テニスなどがそうだ。一方で日本語に翻訳されて定着しているものもある。その代表例は言うまでもない。ベースボール=野球である。野球が日本に伝わって以来、用語の多くが日本語化されてきた。ピッチャー=投手、バッター=打者、ホームラン=本塁打などその例は枚挙にいとまがない。
あるスポーツが浸透するにつれ、その国の言葉に用語が翻訳されるのは自然なことだろう。しかしそれが時勢と圧力によって行われた悲劇の歴史がプロ野球にはあった。
1940年、日米関係の悪化にともない、日本野球連盟はプロ野球(当時は職業野球と言われた)のチーム名称を英語から漢字に改めた。これによりタイガースは
阪神軍、セネタースは翼軍、イーグルスは黒鷲軍にそれぞれ改称した。スポンサーである小林商店(現ライオン)の主力商品から名付けられたライオン軍のみは「ライオンは日本語である」と拒否したが、翌年スポンサー契約が解消されたことで朝日軍に名前を変えた。そして太平洋戦争が始まり、野球が明確に「敵性スポーツ」になると、周囲のプロ野球を見る目は厳しさを増した。
「後楽園の一角にそびえる講道館の時の館長は、すぐ隣り合わせのスタヂアム(注・後楽園球場)で職業野球をやるのは実にけしからんとまで言った。そして野球亡国論という怪物が、あたり構わずのさばり出してきた」(
苅田久徳・当時
大和軍)・・・
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