
オリックス・野田浩司は9回裏二死にロッテの二番打者・平野謙からこの試合19個目の三振を奪ってNPB記録を更新。しかしこの時点では1対1の同点で、野田は降板する
2回までに6奪三振、4回で2ケタ奪三振
プロ野球には、移籍をきっかけに驚異的な成長を遂げる投手がいる。野田浩司(オリックス)はその典型的な例だろう。
1988年、野田はドラフト1位で九州産交から
阪神に入団した。スリークオーターから繰り出す速球と、
野村克也(
ヤクルト監督)をして「お化け」と言わしめたフォークを武器に一定の成績を残したものの(5年間で35勝9セーブ)、エースとしての活躍を見せたとは言い難かった。
転機が訪れたのは92年オフだった。打線の強化を図った阪神は、トレードでオリックスの主力打者である
松永浩美を獲得。その交換相手が野田だったのである。当初は移籍に難色を示した野田だったが、結果的にはこれが投手としての殻を破るきっかけとなった。野田は阪神時代よりテークバックを小さくした。これにより打者に球種を見破られなくなった。ストレートと同じ振りで繰り出されるフォークに打者のバットは次々と空を切る。終わってみれば
野茂英雄(近鉄)と並ぶ17勝で最多勝を獲得。奪三振209は野茂に次ぐリーグ2位であった。野田は新天地でエースにのし上がったのである。
そして94年8月12日の近鉄戦(神戸)では当時の日本タイ記録となる1試合17奪三振を達成した。同じ記録の保持者である野茂は・・・
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