
その3試合の写真は弊社に残されていない。その3試合を迎える前、佐藤のシーズン被本塁打は41イニングでわずか1本だけだった
規定投球回に到達したリリーフ投手
1970年に日大からドラフト1位で南海に入団した
佐藤道郎は、とにかくタフな投手だった。
球速こそ目を見張るものではなかったが、強気でありながら同時に緩急を自在に操る頭脳的な投球が選手兼任監督の
野村克也から「実戦向き」と評価され、1年目から積極的に起用された。リーグ最多の55試合に登板し、18勝をマーク。特筆すべきは、うち52試合がリリーフ登板だったにもかかわらず規定投球回数に達したことだ(144回2/3)。防御率2.05はリーグ1位。当然のように新人王にも選ばれた。
佐藤の右腕はその後もフル回転を続けた。72年には6月29日から7月18日にかけて、現在もパ・リーグ記録の11試合連続登板を果たしている。その間投げたイニングは21回なので、1試合平均で約2回投げている計算になる。この年の佐藤はリーグトップの64試合に投げて再び規定投球回数に到達したが、それも納得の「鉄腕」ぶりだ。当時はまだセーブ制度はなかったものの(74年から)、佐藤は押しも押されもせぬ南海の「抑えの切り札」であった。
その佐藤が、いまだに破られていない「日本記録」を樹立したのは、投手として脂の乗り切った73年のことであった。
この年からパ・リーグはシーズン前後期制を採用したが、南海は前期に
ロッテと激しい首位争いを演じた。5月30日、後楽園球場での直接対決、ダブルヘッダー第1試合に勝利したことで南海は首位ロッテに0.5ゲーム差に迫った。この試合にも8回途中から登板した佐藤は、1回2/3を投げて試合を締めている。
続く第2試合・・・
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